北東アジア・シンポジウム

開催日 2002年12月14日
会場 新潟県庁西回廊講堂
講師 拓殖大学国際開発学部教授・北京大学客員教授 杜進
立教大学教授 李鐘元
新潟県知事 平山征夫
共催 新潟県
報告書 ERINA BUSINESS NEWS Vol.35

第1部 基調講演

~北東アジア経済圏の歴史と現状

拓殖大学国際開発学部教授
北京大学客員教授 杜 進氏

地域経済圏とグローバリゼーション(地球化)の視点、特に地方と中央の視点から問題整理したいと思います。

まず、地域には2つの意味があると思います。一つは自然、人文事象的な公式のまとまり、もう一つは複数の異なる公的地域の機能的な統合です。地球化が、地域を越えた貿易、資本、情報、市場、企業、銀行などの拡大のプロセスと考えるとすれば、地球化を進めていこうとすれば、公的なまとまりが変わり、機能的統合のあり方が変わらざるを得ません。地域の再編が必ず出てきます。

地域の再編もグローバルなレベルで行われ、現在、新しいタイプの地域が台頭してきています。具体的には3つのタイプがあります。一つはEU、APEC、ASEANなど国家間の連合。第二に、例えば中国の西部大開発、日本のこれからの沖縄開発など、一国内のミニ開発地域が国際的に発信し始めています。第三に、超国家地域経済圏と名付けていますが、近隣諸国あるいは地域の一部による経済構造で、香港、台湾を含めた中国華南地域から起こり、図們江地域、新潟が進める環日本海経済圏などがその典型的なものです。これらは特に旧社会主義国家とその周辺で現れてきたともの思いますが、その背景には、制度改革による経済活性化のプロセスが考えられます。

国家の枠を超えた地域の再編成が行われるとすると、国民国家が将来どういう役割を果たすかが問題です。これについては3つの議論があり、一つは国民国家の解体です。例えば大前研一氏によれば将来の地球化に伴い、国家は機能不全に陥り、消費圏やインフラネットワーク規模が最適な地域国家ができ、国民国家の枠が崩壊するだろうと予言しています。一方、中央政府がやはり大きな役割を果たす限定的なグローバル化を主張する学者もいます。また、地球化が進む上で多くの物事においてインターナショナルかドメスティックかわかりにくくなり、環境問題、金融安全など、双方が一緒にならなければならない問題もあります。政府機能を調整し、新しい状況に則した機能を発揮することが重要なポイントになってきます。

ここで、80年代末から東アジアで行われてきた超国家地域経済圏に対する評価について顧みたいと思います。政治学者には、自然発生的あるいは政府主導的な超国家地域経済圏に対しては慎重論が多いようです。例えば、スカラピーノ氏(米)は1991年の論文で、自然発生的な経済圏のコンセプトを打ち出し、東アジアは、特に共産主義国家の崩壊に伴っていくつかの自然経済圏ができたと指摘しながら、同時に、これを否定的にとらえています。地域経済圏の発展に伴い国家の主権に制約が加えられつつあり、国際秩序に対する影響が非確実的になっているというものです。一方、経済学者では積極的に評価する人が多いようです。例えば渡辺利夫氏は、局地経済圏というコンセプトを打ち出し、東アジアの経済圏は市場主導的で経済合理性に基づくものであり、経済圏の発展により体制移行国の国際協調を促すものだと積極的に評価しています。

日本では、こうした地域経済圏への参加の動きが80年代後半から出てきたといわれますが、2つの特徴が指摘できます。一つは地方自治体と民間が支援する形になっています。中央政府は東アジアの地域主義に消極的といわれます。これにはアメリカのファクターもあり、いまの日本の国際関係は特に不都合もなく、現状のままでいいという考え方です。一方、地方自治体は、一極集中の是正、地方経済の活性化などの想いがあります。2番目の特徴は、ソフトインフラの構築が先導していることです。先進国としての経験を後発国にアドバイスでき、シンクタンクや研究所が前に出る傾向にあります。

環日本海経済圏は、地域経済圏を構築する上で有利な条件があるといわれています。一つは強い経済的補完性が存在していること。日本と韓国は資本と技術力に優位性があり、中国と北朝鮮は労働力の優位があり、ロシアとモンゴルはエネルギーや天然資源の面で優位があります。それぞれの特徴をもつ経済が密接に交流を進めていけば、お互いの共通利益になります。もう一つ共通点は、それぞれの国の中で、地理的、経済的、政治的に周辺であることです。地域活性化へのインセンティブが強く、80年代後半以来、地方分権や国際交流を積極的に提唱しています。

日本の自治体の活躍は、極めて多彩です。(旧)自治省のデータによれば、地方公共団体の国際関係事業費は1989年から1995年に急速に伸び、最近は停滞しているものの、以前に比べて非常に高いレベルにあります。しかし、現状では環日本海経済圏が整備されたとは言い切れません。その理由の一つは、ロシア極東地域、北朝鮮の経済開発区はまだ本格的な軌道に乗っていません。また、中国東北地域、華北地域は、経済成長率は一応高いのですが、沿海地域に比べまだ立ち遅れています。日本の地域経済にとっては、交流強化によって直接利益を得たという実例に乏しいのが現状です。

さらに、いくつかの理由を指摘したいと思います。日本経済は全体として資本と技術の優位性を持っていることは間違いありませんが、国内では関東や関西に比べ、まだ周辺地域です。地方自治体の努力が報われるかどうかを考えるとき、交流事業の推進により資源を獲得し、社会資本が整備され、知的インフラを構築していく、こうしたことが将来の地域発展に大事な財産になると思います。地域交流によって市場、モノ、知識などが増加していきますが、中央と地方の体制もよりオープンになり、より国際スタンダードな制度になっていくと思います。

韓国では仁川空港、釜山港周辺に特区の設置が決まりました。例えば仁川では公用語が英語で、税制も異なり、外国の資本を導入していきます。日本でも政策特区の議論が盛んですが、地方活性化を考える上で、交流を増やし、制度を変えていくというインセンティブを地方政府は持っていて、十分可能だと思います。地域経済圏形成を目指す地方政府の努力に私は最大の敬意を払い、将来の発展もそこにあると考えています。

~北東アジア経済圏の歴史と現状

立教大学法学部教授
李鐘元氏

私の専門は国際政治学、主にアメリカの東アジア政策と朝鮮半島との関連で、キーワードは政治、朝鮮半島、アメリカです。しかし、北東アジア経済圏と協力において、この3つのキーワードが足を引っぱり、進展をやや阻むような問題をはらんでいるのは、肩身の狭い思いがします。私は経済が専門ではなく、いまの政治状況などについて、ややマクロな視点からお話したいと思います。

北東アジアは世界で最も重要な国がひしめき合っている地域であるにもかかわらず、世界で唯一地域機構がないところです。公式の協議機構が存在しません。冷戦後、地域主義が大きな流れといわれていますが、政治学の理論的立場から考えても、北東アジアは難しい地域です。国のサイズの差が余りにも著しく、水平的なシステムが作りづらい問題を抱えています。

この構造的な問題のため、北東アジア、広く東アジアは、安定的・水平的な秩序感覚のイメージや機構が成立しなかった歴史があります。中華秩序もある種の覇権秩序であり、その後の欧米列強の植民地支配、それに対抗する日本の大東亜共栄圏なども垂直的なもので、それぞれが対等の関係だという認識がなかなか生まれてこなかった地域です。依然として、支配するか、抵抗するか、その過程で生まれる不信が悪循環する構図が生まれやすい地域という現実があります。単一民族が同じ国家をつくってきたというフィクションが定着しており、縦割りの意識が強くイメージされるという特徴もあります。領域、国境へのこだわりがあり、固有の領土という表現をよく用いますが、ヨーロッパでは固有の領土という表現は成り立ちません。さらに近代史の過程で、それぞれの国民国家形成のための隣国とゼロサム的な関係、冷戦による分断などが幾重にも重なり、困難を大きくしている地域です。

にもかかわらず冷戦が終わり、大きな境界線が事実上低くなるにつれて、社会的、経済的、文化的な接触、交流が著しく進みました。その過程でフュージョン現象、融合が特に文化、社会面で起こり、この10数年で様相が変わってきたのは驚きです。大きな課題として浮上していることは、こうした変化を包括する政治的な枠組みが存在しない、逆に政治が邪魔をしていることです。実際に社会・経済的には生活が一体化しているにもかかわらず、頭の部分がねじれ、分離的、対立的な思考が依然として残っています。

もっとも核心的な課題は、朝鮮半島問題です。冷戦が終わり、世界的な対立が終ったにもかかわらず、逆にその終結の時から朝鮮半島問題が不安定化した、危機の10年だったといえます。冷戦期の朝鮮半島、北東アジアは、ある種の秩序にあり、釣り合っていました。それがある日突然崩れ、国際的な孤立を深めた北朝鮮は、危機意識をもたざるを得ない状況です。北朝鮮は自分たちの生存が可能な新たな秩序、枠組みを求め、その期間が危機の10年だったと思います。北朝鮮問題を組み入れた秩序、枠組みをめぐる模索、試行錯誤がまだ続いています。

北朝鮮には2つのジレンマがあります。一つは自らの支配体制を維持しながら、ある程度変化させなければならない。変化と維持のバランスをどのように考えるかは、彼らにとっても難しく、周辺の国々も北朝鮮を組み入れた秩序を考えなければなりません。余りにも問題が多い体制なので、どの程度変わってほしいのか、変わるようにするのか、コンセンサスがなかなか成立しないので、不安定が続いています。もう一つのジレンマは、北朝鮮と周辺の国々との関係の改善、しいて言えば建設的な目的です。ノドンミサイルの配備、核開発などは破壊的な手段、脅しの手段ですが、目的そのものは日本とアメリカに対する関係の設定、体制の維持を前提としたものです。手段が破壊的なものしかないという状況から、脅しによる関係改善を求めるという矛盾した態度を取らざるを得ません。

さらに朝鮮半島の和平のプロセスが中国の台頭という地政学的な変化と連動して起きたということが、さまざまなレベルで不信感、現状の変化の方向性に対する脅威認識と絡んで、一定のコンセンサスが生まれずらい状況が長引いています。

北朝鮮が変わりうるかどうか、その意思と能力があるかどうかが常に問われています。ここ10数年、北朝鮮はそれなりにいろいろな措置を取ってきました。例えば7月1日に配給制を事実上廃棄したのは開放を前提とした政策変化ですが、あるアメリカの学者によれば、変化といっても地球から見れば木星が火星に近づいた程度、物差しによっては大きな変化とも小さな変化とも受け取れます。98年来の一連の法律改定、改革開放を目指した模索は、変化の流れとしては北朝鮮にとって第3回目の試みです。まず合弁法・合営法を83年に作りましたが、余りにも小規模なもので進展しませんでした。90~91年には経済特区をロシア国境地帯の辺鄙なところに作りました。非常に用心深く、慎重すぐるほど慎重に、中央の体制に影響のない形で、ドル稼ぎの拠点を一つ作ったわけです。これも限定的に過ぎ、魅力もありませんでした。こうした教訓、失敗を踏まえて、北朝鮮は最近、新義州の特区、開城の特区の建設を合意しています。満足できる形ではないけれども、方向性はある程度確認できるのではないかと、特に韓国の見方としてはあります。

金大中政権は太陽政策として、北朝鮮を変化させるためにさまざまな関係、関与を進めなければならないという政策を採ってきました。韓国内ではその対価が少なすぎるとの批判が高まり、今回の大統領選挙でも一つの争点となりましたが、戦争という極限の手段に代わるオータナティブとして、信用するかどうかは別としても、北朝鮮体制と交渉しながら変わる方向に持っていかざるを得ないというのが韓国の考え方です。新たな核危機が表面化した状況における最新の調査を見ても、北朝鮮と対話によって交渉を進めるべきだという意見が6割弱、強硬姿勢をとるべきだというのが20%強です。韓国は以前、日本で楽観的見方が多かった時期に非常に厳しい見方をしてきました。太陽政策、融和政策を現実路線として位置付けようとしているのは、同じ民族としての甘い期待だけではなく、すぐ隣で付き合ってきた感覚からであり、いまの北朝鮮は随分変わってきたという認識があります。

最も問題となるのは、米朝関係です。ブッシュ政権誕生以来のアメリカの強硬姿勢は、悪の枢軸というレベルまで上げられ、緊張が高まってきました。2003年以降の朝鮮半島情勢、北東アジア情勢を見るとき、米朝関係は基本的なファクターとなります。アメリカ内部の政策論議を見ると、タカ派にも2種類あります。原理主義的なタカ派は、悪い体制とは妥協せず、コストを覚悟して体制の変化そのものを求めていく考え方です。これが政権の上層部に強くあるのは事実です。もう一方は現実主義的なタカ派で、イラン・イラク、北朝鮮に限らず、世の中に悪い体制というのは他にもあり、それをいちいち変えていくにはコストがかかる。そのため優先順位、関わり方を決める上で現実の国益を考えざるをえないというものです。この両者の激しい議論が、イラクとの戦争、その後のあり方などをめぐって闘われています。

悪の枢軸に対するアメリカの戦略的目標は3つのレベルがあります。一番直接的なものはテロを支援するものを遮断・制圧するというアフガン戦争のようなものですが、イラン・イラクも用心深く、そこまで直接的なことはしません。次のレベルは、大量破壊兵器を放棄することを求める。第3はより原則的に、民衆を抑圧するような悪い体制を変えていくレベルです。このレベルをどの時点でどのように求めていくかが、2つの立場の違いによって変わってきます。

結論を暫定的の申し上げると、中東はアメリカにとってもエネルギー資源の利害関係にあり、かなりのコストを覚悟してでも体制の変化を求めていくことを明確に打ち出していますが、ラムズフェルド国防長官が表明しているように、北朝鮮とイラクは違います。今回の北朝鮮の核開発への対応でも、アメリカの対応のキーワードは2つあり、一つは平和的解決です。経済制裁が強硬政策ではないとは言えませんが、イラクと同じように、すぐ軍事的オプションを採るのは客観的に難しいという状況を認識しています。関係国の国際協調、日朝関係、南北関係、ロシア、中国などにも協調関係を働きかけるオプションです。イラクに対するアプローチとは対照的です。北朝鮮が検証可能な形で核ミサイルというアメリカ最大の懸念を解決すれば、妥協可能ということです。北朝鮮も、自らの体制維持が可能ということになれば、核ミサイルという大量破壊兵器を放棄できると論理的には考えられます。アメリカは悪の枢軸と妥協したくないということで難航していますが、だからこそ水面下の動き、ロシア、日本、中国、韓国など地域内の国家同士の連携、協調により、安定的枠組みに誘導するということが現在の課題です。

拉致問題は、韓国でも同じような問題を抱え、理解できます。日朝会談は、日本外交が大きな動きを見せた稀に見る例であり、北朝鮮の困窮を前に、日本外交が追求してきた狭い国益をほぼ全面的に勝ち取ったという意味で大きな成果がありました。私自身、日本外交が世界的にこれほど注目され、しかも難しい地域の安定のために外交を展開した例としてあまり記憶にありません。日本の狭い国益だけでなく、ロシアとの連携でも、平壌宣言の第4項に最も注目しています。事実上の6者会議を示唆する部分を北朝鮮に同意させたことは大きく、核ミサイル問題についても、戦略的な問題の協議を日朝の正式な枠組みに認めさせたことは、画期的なことでした。北朝鮮は、朝鮮半島の問題に大国が関与することは許さない、しかも日本が関わることは許さないという態度でした。韓国も以前の金丸訪朝団に対して、分断を利用した日本の外交として懸念を示したわけですが、今回、日本の関わりを歓迎したのは、日韓関係のここ10年を反映したものだと思います。

長年懸案になっている6者会議の実現可能性は、地域内の対話、安全保障協力システムへの機会になるだろうと思います。そこで指導性を発揮するのが日本とロシアの連携という構図で、韓国の金大中政権や新しい政権も、北東アジアをキーワードと考える政策傾向にあります。こうしたことで、来年は大きな動きがあるだろうと、私は見ています。

第2部 パネルディスカッション

(ERINA所長 吉田 進)

北東アジア地域の共通目的は何か、というところから進めていきたいと想います。

(新潟県知事 平山征夫)

いろいろな地域が経済協力をしながらグローバル化していく地球規模の経済において、北東アジア地域という一つの単位の中で、それぞれが持っている財産、資源をフルに活用しながら発展していこうとするのは、ある意味、地球規模での競争激化への対応策でもありますし、国を超えた経済単位での活動の方がより効率的で、そこに住む人々に幸せをもたらすものだという考え方から、各地域で起こったものだと思います。

しかしながら、北東アジアは第2次世界大戦のいろいろな問題を残しています。朝鮮半島の問題は一番シビアであり、北方四島の問題もあります。地域のレベル差が非常に大きいと同時に、それぞれの地域がそれぞれの国の中で周辺地域です。国全体が関わっていないという難しさを抱えている地域ですが、日本にとっては戦前から一番関連が深かった地域であり、だからこそ我々は依然として大きな関係と思い入れをもって接してきたと思います。

戦後、日本は正面きって関われない時代が続いてきましたが、10数年前、ソ連がロシアになり、緊張の海が交流の海に変わり、新しい時代に入りました。世界の中では遅れた、条件の悪い、サブリージョナルな地域ですが、一つの経済圏として協力し合っていくことが共通の利益をもたらし、互恵の精神で発展しうる時代、予防的平和のためにも貢献できる時代を迎えました。

新潟は、地政学的にこの地域で重要な役割を果たす拠点性を持った位置に存在しているだけに、その役割を果たそうと考え、取り組んできたところです。来年6月はじめ、朱鷺メッセに場所を移して開かれる14回目の北東アジア経済会議のときにどういう状況になっているか、そこから次の展開として何が出てくるか、それを主催する地方自治体としてこれまでの実績の上にどう展開していくか、重要な役割を担う時期が来たのかな、という思いでおります。

(杜 進)

この地域の将来あるべき枠組み形成のため、予防的平和に対していかに地方自治体が関わっていくかを具体的に考えれば、3つのことが大切だと思います。キーワードはインフラです。将来の国際化、地球化に向かって共同体として出発するためにはインフラが必要で、具体的には、一つ目は基礎的、制度的インフラです。いまの法律、制度は時代遅れの面があり、この問題点を明らかにし、新しい制度を模索していくこと。二つ目は知的インフラで、北東アジア経済会議という大きなネットワークの中で、行政、研究者、経済団体、市民団体を巻き込んだ仕組みを作り上げること。三つ目がハードの面でのインフラで、港湾、道路、鉄道などを新潟が調査、提案していることは非常に評価されます。

(李鐘元)

金大中大統領がこの5年間、いろいろな面でビジョンを打ち出して韓国を、あるいは朝鮮半島、北東アジア情勢を変えてきた功績はあると思います。彼がキーワードとして使ったのがWin-Winゲームで、知事がおっしゃる互恵です。

例えば北朝鮮に食糧援助したり、環境改善したりするのは、北の体制を助けるための慈善活動ではなく、それが韓国の利益なのだということです。南北関係だけでなく、IMF危機のときも、ナショナリズム、欧米の動きに対する反発が強まるのではないかとの懸念もありましたが、大統領はかえって積極的に開放政策をとり、外資が入ってくるのはWin-Winであれば問題はない、と言いました。20世紀の北東アジアの構造から生まれた狭い意味の国益を乗り越えようという発想でした。Win-Winゲームを別の表現で言えば、国益を広く考えることです。日本語でも国益には「守る」という動詞を使いますが、いまは現状を変えるために打って出ることです。新たな可能性を切り開いていくのが国益であるという発想です。

2003年の変化ですが、1月からアメリカは新しい議会が召集され、聴聞会が開かれます。いまの議会の動きを見ると、イラクが最大のプライオリティで、朝鮮半島は総合的な対話による解決がやむを得ない選択ではないか、というのが議会の流れです。クリントン時代、アメリカの強硬政策を引っ張ってきたのが議会だったことを考えると、大きな変化です。北朝鮮が核ミサイルを検証可能な状況で放棄できるように説得することが最大のカギですが、それ次第で局面が大きく展開していくだろうと思います。

(吉田 進)

この9月、北東アジアのエネルギー問題についての会議で、アメリカ国務省の燃料担当部長も個人の資格で参加され、この地域におけるエネルギーバランスを保つためには石油ガスの開発、パイプラインの敷設が必要だが、法的整備の不足をどう処理していくかが大変問題である、という話がありました。こうしたプロジェクトが進んでいくと、おのずから、法的インフラが必要になってきます。そうした段階に我々の協力が進んできているということを痛感しました。

次に、この地域の経済形成のために統一的に取り組むことは何か、お話いただききたと思います。

(杜 進)

私は中国でいつも、日本の交通システムはどうか、環境問題は、エネルギーはどうか、と聞かれます。こうした意味で、日本の地方自治体が国際交流を行うときに重要なことは、知識の伝授だと思います。いかに運営していくのか、いかに問題を解決していくのか、こういう視点から知識を伝授していくことだと思います。

(李鐘元)

韓国でここ数年もっとも関心の強かったことは、環境協力です。韓国にも黄砂が飛んできますし、被害が悪化し、そのための協力、協議が10年以上前から定例的に行われています。

北朝鮮との絡みでいえば、食料問題です。悪い体制を変えるのはもちろん課題ですが、体制を変えたとしても2千数百万の民衆が存在するのは事実です。構造的に農業が脆弱化している現実の中で、農業問題を根本的に解決するための取り組みが必要で、私案としてKEDOと同様なKADO(朝鮮半島農業開発機構)の発想をもっています。

近年もっとも焦点になっているのは、エネルギーと輸送システムだと思います。韓国で言えば、鉄道の連結です。中国、ロシアと地続きの経済圏を実現するというもので、北朝鮮も今年夏ごろから積極的に変化し、韓国が関心を持っていた京義線に、北朝鮮の強い要請で東海線、すなわち朝鮮半島の東側を北上しロシアにつながる線が、ロシアと協議されています。物、人の輸送インフラの整備が成立すれば、日本との関係でもイメージ的にも大きな変化となるものだと思います。

(平山征夫)

北東アジア経済会議も最初のうちは、各国の代表の自慢話と投資のお誘いばかりで、投資しないとお叱りを受けました。日本は防毒マスクをかぶりながら、いい花の匂いをかぎたがっているようなものだ、と言われたことがありますし、川を目の前にして議論ばかりで渡る気がない、と言われたこともあります。そこまで本音で言うようになってくるうちに、基調講演で日本国際問題研究所理事長だった松永信雄さんが、議論から実践に踏み込むべきではないか、と言いました。翌年の基調講演に立った韓国元総理の羅雄培さんも、同じことをおっしゃいました。それを受け、アジア経済研究所長だった山澤逸平さんにPECCの話をいただきました。山澤さんは、元外務大臣の大来佐武郎さんのもとでAPECの元になったPECC(太平洋経済協力会議)の組織化を手伝われ、大平総理がPECCからAPECに格上げした経緯があります。PECCは非公式組織で、個人の資格で政府関係者も学者も入っています。北東アジア地域にも、PECCまでいかなくとも、実践に向かって非公式の会合ができる国際的な機関が必要ではないか、と発言いただき、ERINAが事務局となって、北東アジア経済会議の下に組織委員会を作りました。将来に向かって、正式な政府間の組織ができない今の国際情勢の中で、我々が行動すべきことを議論する非公式な国際的な場を作ろうと、それまで会議に関わってきたメンバーが集まりました。

組織委員会では北東アジア経済会議のテーマを議論すると同時に、実践として動けるものは何か、というところから議論をはじめ、最初に動いたのが輸送・物流部門の分科会です。分科会メンバーが北東アジアの要所要所に出かけ、調査し、まとめたものが北東アジア輸送回廊ビジョンです。これは9月の長春での組織委員会でオーソライズされ、各国語への翻訳も終りました。北東アジア経済圏に9つの輸送回廊、いわゆる流通ルートを優先的に整備すべきインフラとしてまとめ、これを各国政府に投げかけ、協調的に整備していくことを提言しています。私も中国政府に説明に行きましたし、日本の政府にも説明しました。

同時並行的に議論になっているのは、環境とエネルギーの関係の問題です。北東アジア経済会議では数年前まで、環境というテーマを採ると、被害者と加害者という議論になって気を使わざるを得ませんでした。そこで最初はエネルギーという形で取り上げ、それを環境の問題に広げ、2~3年前からは環境というテーマでも違和感なく、環境は最優先課題の一つであるという認識で、同じ土俵で議論ができるようになりました。

エネルギーの問題で私どもが最も取り上げてきたのは、サハリンの天然ガスの問題で、新潟と関東側、2つのパイプライン・ルートの議論がありました。ぜひ新潟に持ってこようと、当時、通産省でも取り上げていなかったときから、県で東京での勉強会を主催しました。新潟で昔掘ったガス田に貯蔵することによって、1個250億円もかかるタンクを何十個とつくる必要なく貯蔵する機能が新潟にある、と申し上げてきたところですが、日本の天然ガスに対する需要は、圧倒的な主体となる電力会社においてまだそういう認識になっていなく、国策としての動きになっていません。一方、中国は経済成長が早い中で、エネルギーの対応を戦略的に行っています。バイカル湖周辺のガス田や、かなり遠くまで視野に入れています。私は、サハリンから新潟へ、さらに朝鮮半島に渡り、北朝鮮から北京、そしてシベリア方面へと環状にして、お互いが共同のエネルギー安保体制をつくることが平和的予防外交の一つにもなると思って取り組んできました。残念ながら、いまは関東ルートだけが日本で取り上げられそうな状態で、日本海ルートは後回しということになっています。

こうした具体的な問題を新潟県が取り組むことによって、将来広い意味で新潟が拠点的な地位を持ち、パイプラインを持ってくることによって産業が立地するかもしれません。9つの物流ルートの提言後、内外から、海の輸送回廊も併せて書くべきだという議論も出てきました。当然、物流が盛んになれば、海を渡って日本との貿易も盛んになるだろうし、新潟がさらに拠点性を発揮できて地域の発展につながれば、それが県益につながるだろうと思っています。

環境問題に関連して、新潟に酸性雨研究センターという国際機関を誘致しました。酸性雨の問題をいかにコントロールしていくかは、雪の中に溜まった酸性雨が春先になって一挙に流れ出る雪国という気候条件にある新潟がその役割を果たさなければならない、ということで取り組み、東アジアの国々が酸性雨という問題に対して非常に関心を持ってくれました。

環境問題の中でこれから最も苦労するのは、成長が早く、多くの人口を抱えている中国だろうと思います。中国では、たくさんあった木が切られ、水をどうやってコントロールしていくかも大問題になっています。1995年から、中国における食糧需給は一時的に余剰気味で、輸出余力があり、新潟にも米を輸出したいと言ってきますが、水が足りないし、後で困ることになりませんか、と申し上げています。北東アジア経済圏は、北東アジア環境圏でもあり、同じ地域の中国に対して我々がお手伝いできることがあればやるし、逆にお手伝いいただくこともあるでしょう。

昨年来、新潟などから古紙が大量に中国に出ています。中国では雑誌社や新聞社が増え、紙の需要が膨大に増えています。これを賄うために木を切ったら大変です。アメリカ、日本から大量の古紙が輸入されるようになりました。リサイクルという問題でも、日本という国の単位ではなく、北東アジアの中で考えれば、もっといい組み合わせがあるかもしれません。

政治体制の問題は大きく、拉致問題に毅然として取り組もうとすることは、当然のことです。人権の問題でもあり、きちんとしなければなりません。一方、そこに住んでいる人のことを考えると、将来長い目で見た基本的な姿勢としては、予防的平和外交と併せ、互恵ということだと思います。このことをいかに整合性を持ちながら対応していくか、常に悩まなければならない問題の一つです。

県や日本から飛び出して北東アジア圏で考えたほうがいいものがあれば、すでに具体的な問題がいくつか出てきており、これからは県行政の各部署でも考えてもらいたい、という認識を庁内にはお願いしておきたいと思っています。

(吉田 進)

県益、国益、圏益というものが、あるところで全部一致していて、そういう問題こそ共通の課題であり、今後解決していかなければならないことだと思います。

最後のテーマは、今後の課題は何か、ということでお願いします。

(杜 進)

国として地方自治体が出過ぎないようにというのは、一定の軌道に乗って出過ぎないようにという意味であり、なるべく動いてほしいということは、新しいルールを探してほしいということだと思います。そこに地方の改革の余地があると思います。

中国でWTO加入が全面的に受け入れられる体制になったのは、何故かと聞かれます。そこには地方自治体の役割が大きいと思います。中国では、上に政策があり、下に対策があるとよく言います。青信号の場合は堂々と渡り、黄信号では急いで渡り、赤信号でも止まらずに、少し回って渡ります。新しい地方の利益と国際認識に基づいて、改革開放に向けてひたすら走る。そういう意味では、ERINAの研究プラス行動、これを続けて新しい道を探してほしいと思います。

(李鐘元)

私の中での新潟のイメージは、ある種、国境の街という認識があります。北朝鮮との関係では明らかに、国境の街と申し上げていいと思います。新潟は、小さい頃から聞いた日本の都市の名前です。典型的な反共教育を受けてきた中で、1959年から始まった在日朝鮮人帰国事業の拠点、北送事業の玄関、国境の街であり、対立の最前線、緊張の重圧を受ける街であり、だからこそ関係の改善、安定化を求めるところだと思います。

象徴的な言い方ですが、政治学的な平和研究はヨーロッパから始まり、ノルウェイ、フィンランド、オランダ、スウェーデン、ドイツなどの平和研究所が世界の平和研究を作り上げてきました。フィンランド、スウェーデンの人たちはソ連の重圧を考えながらも、それを何とかヨーロッパとつなげることを考えざるを得なかったわけです。戦後のヨーロッパの統合を進めた指導者、例えばヨーロッパ石炭鉄鋼共同体のフランス側の指導者であったシューマンは、アルザス・バーデンの出身で、ドイツになったりフランスになったり、年によって国籍が違う地域で生まれ育った人が指導者になって連携を進めました。さらに遡って、永久平和論の著者、哲学者カントはドイツの市民ですが、生まれ育ったところはいまでいうとロシア領で、一時期ロシア市民だったこともありました。

日本には北方政策がないと外務省で議論されていますが、北方は難しく、ある意味で放棄しているところがあります。アメリカ任せであり、冷戦が終った後も中央が動かない中で、日本海側のさまざまな自治体の努力で、いろいろなネットワークができたことは厳然たる事実です。国境の街・新潟からの動き、発信は、韓国にとっても大きな象徴性とともにインパクトがあるだろうと思います。

(平山征夫)

EUが通貨統一する少し前、新潟県と友好交流している北ホラント州(オランダ)に行き、日本銀行出身の私なりに通貨統一の意味に興味があり、先方の知事らと議論しました。モノや投資に替わるバブル的な動きもあって大変であり、大変だけれど必ずやるということを言っていました。何故かと聞くと、「我々はフランスとドイツの間にはさまれて、長い間苦労した。30年かけてここまできた」と言い、知事と副知事がニコッと笑みを交わしていました。その言葉を聞いたとたん、自分たちの地域を安定させるためにどれだけ苦労してきたか、と、いう思いが分かりました。

北東アジア地域においては、ある意味、長い時間かけて努力していくことに少し足りないのではないか。私が初めてロシアに行った日銀支店長時代、日本人墓地の名簿を受け取る、受け取らないという話になり、外務省からは日本が北方四島を主張しており、名簿を受け取ってはいけないと言われました。私は非常に腹が立ちました。当時の外務省はそれほど、戦後処理の中で頑なな態度でした。しかし、その後は変化し、遺骨を持ち帰って番号が消えた墓もあります。ちゃんと花を活けてくれるようにもなりました。

10年後を見据え、今何をしなければならないかというとき、県民の幸せ、安全など、自治体にもいろいろな課題がありますが、これからは国際交流の時代、国際的に同じ圏域の中で互恵の精神で発展していく時代でもあります。そういう意味で、新潟県が今後対岸とどう付き合っていくかを常に最先端で、一番いい方法を考える。それぞれの国に信用できる人間が一人いれば、お互い最後まで戦いあうことは避けられるかもしれない、それが草の根外交だと思います。県職員も、同時に一人の県民として、これからの地域、これからの時代の中で、それぞれの国との関わりについて考えていただきたい。新潟県の拠点性というのは重要な戦略です。そのことについてそれぞれの部でいままで以上に弾力的、かつ幅広く考えていただきたいと思います。