韓国の北朝鮮政策と核問題への対応

開催日 2004年6月14日
開催地 新潟市
講師 韓国・外交安保研究院教授 尹徳敏(ユン・ドクミン)
報告書 ERINA BUSINESS NEWS Vol.44

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最近の韓国と日本の若者は、歴史問題に抵抗感なく交流をしているように感じます。それは、自由と民主主義を共有できるからではないでしょうか。先日、カンヌ映画祭で素晴らしいことがありました。主演男優賞が日本映画で、グランプリは「オールド・ボーイ」という韓国映画でした。この映画は、儒教の国と言われる韓国で今までタブー視された素材を映画化したもので、原作は日本のものです。韓国では表現の自由が進み、タブーがなくなり、日韓の若者が互いの文化を勉強できる環境ができました。同じ価値観、同じ自由、民主主義の中でものをつくるのですから、日韓の文化交流が深まる訳です。中国と日本、中国と韓国では、ここまでできないのではないかと思います

韓国の対北政策の進化過程

北朝鮮政策は88年以来、政権を転覆させたり、圧力をかけたりしない、いわゆる「抱き込み政策」を取ってきました。もちろん、その以前も強硬な立場を取ったことはありません。

初代大統領・李承晩政府は、いかに朝鮮戦争後の復旧をするかが大きな課題でした。

次の朴正熙政府は経済発展に全てを集中しました。民主主義を犠牲にして色々な問題が生じましたが、成果も大きく、今日の韓国経済発展の礎をつくったと言われています。その時の対北政策は、経済力によってどちらの体制が良いかを競争していました。それが韓国経済の発展に結実し、80年代半ばには民主化に成功することになります。

盧泰愚政府になって、有名な北方外交を進めるようになります。経済格差が約20倍になり、もはや北は敵ではなく兄弟ではないかということで、88年、盧泰愚大統領の有名な「7.7宣言」が出されました。北京・モスクワを経由して平壌に行くことに成功し、南北関係に大きな進展がみられました。その後、不可侵・和解に関する革新的な「南北基本合意書」ができます。こうした流れの決定的なものが、金大中大統領の「太陽政策」です。イソップ物語にある『太陽の暖かさで人の服を脱がせることができるという』からきたものです。

去年発足した盧武鉉政府は、「平和・繁栄政策」を強く訴えています。この政策は、太陽政策を継承しながら問題点を直すというものです。太陽政策に関して韓国国民のコンセンサスはあると思いますが、進め方で違う側面がありました。盧武鉉政府は、国民的な合意を集めるプロセスを強化し、国民的な合意の中で北の政策を進めていくところが一番大きなポイントだと思います。もう1つの問題は、あまりにも南北ばかりの対北政策をやってきたことです。朝鮮半島問題は南北だけの問題ではなく、周辺諸国の色々な利害が交差するものです。視野を広げて地域と一緒にやっていくという発想が平和・繁栄政策の1つの考え方であり、南北と地域の両方が繁栄する中で、北朝鮮問題を解決しようというものです。どうやって戦争を防ぐか、平和を保つかに韓国の北朝鮮政策は集中してきましたが、安保問題のみならず、経済繁栄でも均衡的な接近が必要ではないかということで平和・繁栄政策を推進しています。

核問題をどうやって解決するかという第1段階が一番難しく、第2段階(南北協力の推進)、第3段階(南北平和協定の締結)への前提条件でもあります

北朝鮮の現況

2000年6月の歴史的な南北首脳会談から4年、大きな進展もあり、変わらないこともあります。南北分断の象徴である軍事境界線(DMZ)で、今も武装した南北の若者同士が激しく対峙しているのは変わりません。

いい変化もあります。例えば「金剛山観光」です。当初は厳しい警戒の中での登山ばかりで、北朝鮮のホテルではなく船に戻り一夜を過ごす辛い旅行でした。それが3~4年経ち、変わってきました。監視ばかりやっていた人達が小さい販売台をつくってミネラルウォーターや食べ物を売るようになりました。韓国の観光客が海岸を歩けるようになりました。陸路、バスに乗って軍事境界線を超え、金剛山まで行けるようになりました。家族連れの自家用車3台で金剛山まで行く試みも始まり、1週間前、そのセレモニーが行われたところです。

もう1つ進展と言えば、北朝鮮は韓国に対してはあくまでも経済交流であり、政治・軍事的問題はアメリカとやるという姿勢だったものが、南北軍同士の上官級会談が開かれるようになりました。3~4年前に西海で軍事衝突が何回もあり、2年前には韓国の警備艇が撃沈されました。5人の韓国の若者が戦死しました。こうした軍事的な衝突を防ごうと上官級会談が合意され、まだ小さな物ですが軍事的な信頼醸成のための措置が取られるようになりました。今後、北のミサイル問題や核問題が南北同士で話しあえることを期待しています。あまり最初からそれを主張すると会談に出なくなるので、徐々に発展していきたいと思います。

さらに、「開城工業団地」があります。今韓国の経済状況は良くありません。特に、中小企業は人手不足などさまざまな問題を抱えています。開城は板門店近くの北朝鮮の領域ですが、そこに現代グループが大きな工業団地をつくり、韓国の中小企業を入れようという構想が実現しつつあります。実験的に入居者募集をしたら、1,000以上の企業が応募し、10倍以上の倍率になったと言われています。ただ、これにも問題があり、ここで製造したものはソウル市民に供給できる製品であっても、輸出することはできません。アメリカとの関係を改善できない限り輸出は難しく、核問題と関係してきます。いまだに色々な問題があり、少しずつ変化もある、というのが首脳会談4周年の状況です。希望を捨てず、少しずつ解決していくことが必要です。

北朝鮮の今の状況について、触れてみたいと思います。経済的にも政治的にもさまざまな問題があり、金日成が亡くなってから10年間、非常体制が維持され、厳しい状況は変わっていないと思います。

なぜ北朝鮮は先軍政治を維持し、金正日は軍を通じて統治を行うのでしょうか。かつては党が全ての物資を計画経済に基づき配給し、一番下まで統制してきました。今の北朝鮮は物や食糧がなく、党が下まで統制できません。そこで、党や政府でなく、軍となります。戒厳令と言ったらいいでしょうか、そういう国ですからいまだに通常体制とは言えません。先軍体制が制度化している北朝鮮にとってはそれが通常なのかもしれませんが、西側から見れば普通の体制ではありません。金正日は国防委員長という肩書きで、軍人として統治しています。昨年は、各種行事のほぼ70%を軍関連施設で行いました。軍を非常に大事にしていることは間違いなく、戦前の日本の軍国主義と似たようなものだと思います。

政治的には、不正や腐敗が深刻のようです。去年9月には内閣の責任者の中で10人ぐらいが交代していますし、30~40歳代の若い世代がどんどん局長クラスになっています。党や政府の幹部体制を強化しているように見えます。

経済の側面では、2002年7月、北朝鮮にとっては画期的な措置を取りました。「7.1経済改善措置」と言われています。当局が物価を統制する力が無くなり、闇市場に合わせて価格と賃金を現実化したことは、市場経済を目指したのではなく、計画経済を復元するために止むを得ず行ったことだと思います。しかし、ものすごいインフレが生じ、どちらかというと市場機能で価格が決まる状況にあります。非常に面白い資本主義の実験ではないかと思います。

さらに商業・流通分野でも市場機能が入っています。今、平壌には大きな市場ができました。こちら風に言えばショッピングモールで、毎日1万~2万人が利用しています。小さい販売店が多く、95%が個人に任せられています。個人に賃貸して運営しているもので、国営商店の経験を企業や個人に移している感じです。平壌統一市場には結構品物があり、ほとんどが中国産のもののようです。北朝鮮の経済状況が変わるのは間違いないと思います。

個人商売ができるようになり、金持ちが出現し、官僚の腐敗が増大しています。よく言われていることですが、金日成大学には3,000ドルあれば誰でも入学できるようです。外国語大学なら1,500ドルぐらいと言われています。韓国には4,000人以上の脱北者がいます。脱北者に対する意識調査で分かったことですが、北朝鮮の人々の韓国への憧れが次第に大きくなっているという話でした。

北の経済を立て直すには自らの努力はもちろん、海外からの支援なしでは不可能だと専門家達は指摘しています。去年は約114万トンの海外からの食糧支援があり、かろうじて食糧問題を乗り切りましたが、今年は深刻です。5月までに、海外食糧支援は33万トンしか確保できていません。先ごろ、小泉総理が25万トンの支援を決め、いい方向へ向かうかもしれません。これまで一番大きな食糧支援を与えたのは、日本でも中国でもなく、アメリカです。今は核問題でアメリカがやっていませんし、中国は肥料やエネルギーを制限しているようです。核問題から生じた国際関係の悪化は、経済状況や内部問題をより厳しくしています

北朝鮮はなぜ核兵器を開発するか

なぜ北朝鮮は核兵器開発にこだわるのでしょう。この頃は「我々は核抑止力を持っている」と強気の発言も出ています。「核抑止力」がおそらく核兵器を指すものだと皆、認識しています。どうして核兵器をつくるかについて、2つの面を考えなければなりません。

明らかな証拠を見せないのではっきりとは言えませんが、北朝鮮が実際やったこと、どう交渉したかを見れば、北朝鮮が何を狙っているかが分かります。20年にも及ぶ北との核を巡る交渉の中で、国際社会と3回の最終合意があり、3回とも北朝鮮は合意を守りませんでした

80年代、北朝鮮は核兵器プロジェクトを始め、寧辺に秘密の核兵器開発基地をつくり始めました。その時は冷戦時代にも関わらずアメリカとソ連が協力し、特にソ連が説得役、アメリカが情報提供をして、北朝鮮は1985年12月に核拡散防止条約(NPT)に加入することになりました。しかし、ただで加入したのではなく、ソ連からミグ23型戦闘機や対空ミサイルなどを貰いました。ソ連型の軽水炉4基に関する借款を貰い、監視をしなければならいないソ連が混乱し、監視できなくなりました。北朝鮮はNPT加入の1年半後に受けるべき国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れませんでした。

90年代、寧辺の施設が建設され、原子炉が稼動して再処理工場までできていることが明らかになりました。冷戦構造が終わり、アメリカの敵はもはやソ連ではなく北朝鮮の核兵器だと、ブッシュ(父)大統領政権は北の核問題に強く干渉することになります。その時、北朝鮮が挙げた条件は2つでした。1つは、韓国に配備されているアメリカの戦術核兵器の撤退。もう1つは、韓国・米軍合同の大規模な軍事訓練「チーム・スピリット」の中止です。冷戦が終わった楽観的な雰囲気の中で、当時の盧泰愚政権とブッシュ政権は北朝鮮の条件を全て受容し、1992年、北朝鮮は韓国と「南北非核化共同宣言」に合意しました。これは、核再処理のみならずウラン濃縮もしないという内容でしたが、北朝鮮は守っていません。IAEAの査察の結果、北朝鮮が報告すべきプルトニウムが突き止められました。この解明のためIAEAが特別査察を北朝鮮に要求すると、北朝鮮は93年、NPTを脱退しました。朝鮮半島の「核危機」です。北朝鮮は、韓国では話にならない、米朝交渉で全ての問題を包括的に行わなければならないと変わりました。

94年の「ジュネーブ枠組み合意」は北朝鮮の主張を受け入れたものです。包括的に北朝鮮のエネルギー問題を解決することとし、50億ドルの軽水炉2基を北朝鮮に与え、建設されるまで毎年50万トンの重油を与えることになりました。アメリカとの関係改善・経済制裁の解除や、このような問題を保障するクリントン大統領の手紙まで送ることで「ジュネーブ枠組み合意」ができました。

しかし2002年、ウラン濃縮を通じて核開発の証拠が出ました。その時は、ブッシュ政権による「悪の枢軸」北朝鮮を困らせるための陰謀説もささやかれました。さらに去年12月、リビアが核兵器放棄宣言をしてIAEAの査察を受けた際、国際社会に核兵器を巡る闇市場が存在することが摘発されました。パキスタンのカーン研究所が中心となり、イラン、北朝鮮、リビアにウラン濃縮関連の技術を提供し、核爆弾の設計図まで提供していたのです。

北朝鮮がウラン濃縮技術を通じて核開発を行ったのは事実です。時代遅れの寧辺施設ですが、北朝鮮の核能力は核兵器のためのプルトニウムをつくることができます。残念なことに、2002年12月に施設凍結が解除され、今の状況は誰も分かりません。89年に核爆弾を1~2個つくることができるプルトニウムを持ったとすれば、いま核爆弾を持っている可能性は高いというのが西側の共通の認識です。それに加えて、使用済み核燃料を再処理したとすれば、5~7個の核爆弾を持つ可能性も排除できません。2005年からはプルトニウムではなくウランの爆弾もつくられるのではないかという非常に厳しい状況です。

一番問題なのは、なぜ弾道ミサイルに力を入れるかということです。ノドンミサイルが1,300kmの射程距離を持ち、核兵器を込めるための弾道ミサイルであるというのは非常に恐ろしい話です。1965年、金日成は特殊分野の軍事技術者を育てるための軍事学院開設に当って、次のような演説をしました。「もし、朝鮮戦争がもう一度勃発すれば、アメリカと日本帝国主義者が介入するだろう。介入を防ぐためには敵の中心を攻撃できるロケットを持たなければならない」。つまり、長距離ミサイルをつくるのは、日本や沖縄の基地や湾を狙ってつくったのだと思います。

ただし、これは冷戦時代の考え方で、いまは軍事的な目標や概念よりはむしろ、体制維持のための安全弁として核兵器にこだわっていると思います。いま、韓国と北朝鮮の経済格差は30倍以上です。韓国の防衛費は毎年160~170億ドルで、北朝鮮のGNPよりも大きいと思います。核ぐらいを持たないと南と相手にならないということなのでしょう。このようなことが核兵器にこだわる背景だと思います。

北の核問題は、韓国のみならず日本の安全、中国の安全など、地域にとって非常に深刻な脅威です。地域の問題だけではなく、「9.11事件」を通じてアメリカの考え方が変わりました。いまやアメリカの敵はテロリストです。テロリストが抱くアメリカに対する感情も、もし核兵器があったら必ず使うほど悪い。アメリカにとっては、核兵器拡散を防ぐことが最優先課題だと言わざるを得ません。10年前は核を凍結する程度で「ジュネーブ枠組み合意」ができたのですが、いまは完全な解決をアメリカは求めるようになりました。

韓国政府は、この問題を自分たちの死活問題だと考えています。韓国政府には3大原則があります。1つ目は、北朝鮮の核武装を絶対許さない。2つ目は、平和的な解決。もしもの事態が起これば、韓国国民に色々な被害が出ます。3つ目は、当事者としての積極的な役割でこの問題を解決したいという原則です。

日米韓の一つの原則は「CVID」です。「完全な形で(complete)」、「検証可能で(verifiable)」、「逆戻りできない(irreversible)」、「放棄(dismantlement)」を望んでいます。北が核開発するのは自分が弱いから、生存のためにやるのですから、核ではない北朝鮮が生き延びる道を、我々は確実にかつ大胆に与える必要があります。

核問題が解決できないのは、2つの要因が働いているからだと思います。一番大きいのは、北朝鮮が核を保持したいという気持ちです。この気持ちが固いので、我々がいい道を提供しているにもかかわらず応じないという側面があります。もう1つの側面は、アメリカがやはり固いです。交渉には「give and take」というものがありますが、アメリカは今まで強硬な立場で交渉を行ってきました。つまり、「CVID」です。

いまはアメリカも、韓国の提案を支持していると思います。それは、北朝鮮の考え方が「ジュネーブ枠組み合意」程度なのではないか、つまり、核活動を凍結することで補償を得るという線が最終目標ではないか、というものです。アメリカは完全な形の解決を望み、中間の考え方がありません。そこで、韓国の考え方を提案し、アメリカや日本が受け入れました。数カ月というタイムリミットを決め、北朝鮮が完全に核廃棄に合意すればエネルギー支援をする、ということで交渉を進めようというのが韓国の提案です。この頃はアメリカの高官もこの考えを支持しており、次の3回目の6カ国協議でこの話し合いが出ると思います。

ただ、北朝鮮が核問題を完全に解決するという意思表明が非常に重要です。北朝鮮は今までウラン濃縮について否定しています。北朝鮮が核濃縮プログラムの存在を認めれば、非常に大きな進展に結びつき、6カ国協議の展望を明るくする材料になります。それができなかったら、朝鮮半島から大きな台風が生じるのではないかと憂慮しています。

おそらく北朝鮮は、11月のアメリカ大統領選挙でケリー候補が当選すれば、自分たちに有利に展開するのではないかと見ているのではないでしょうか。確かに、ケリー候補が大統領になると北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、アメリカの外交政策がそれに集中することになるでしょう。6カ国協議ではなく、ブッシュ政権が否定するアメリカと北朝鮮の2国間直接交渉ができるかもしれませんが、アメリカの基本的な立場が変わることはないと思います。ブッシュ政権はイラク問題ばかりを考え、北朝鮮が何をしても相手にしないような所があります。例えば、北朝鮮が使用済み核燃料を再処理すれば5~6個の核爆弾をつくることができ、どのくらいかは分かりませんが北朝鮮はそれをやりました。この深刻な問題に対して、ブッシュ政権は何もしませんでした。10年前のクリントン政権は、原子炉から燃料棒を取ったというだけで軍事行動を考えたくらいですから、共和党政権より民主党政権の方がより厳しい政策を取る可能性があることを我々は認識すべきではないかと思います。

ただ、11月の大統領選挙以降、アメリカの政策が変わる可能性は高いと思います。ブッシュ政権の政策にはプランAとプランBの2つあると思います。現在行っているプランAは、中国と共に平和的な解決を図るものです。刑事ドラマで言えば、悪い刑事役がアメリカ、良い刑事役が中国です。大統領選挙が終わると、プランBに移ると思います。それは、軍事的な行動ではない圧力・封じ込めです。PSI(拡散に対する安全保障構想)をアメリカが盛んに進め、日本やロシアも加わっています。これは、大量破壊兵器の物質や部品などの疑いがあれば、船や飛行機を途中で止めて検査できる構想です。PSIができれば北朝鮮に対する圧力となり、行動を制限する措置が取れます。アメリカは対北朝鮮だけでなく世界規模で構想を進め、日本も積極的に参加しています。例えば、特定船舶入港禁止法とか送金の制限などです

もう1つ違った側面として、アメリカは北朝鮮の人権問題を積極的に考えています。議会でも関連法案が審議されています。アメリカはこの問題で調査や批難をしてきましたが、いまは行動を伴う人権政策を用意しています。例えば、脱北者をアメリカに受け入れるなどです。

改革開放の重要性

韓国ができること、日本ができることは、北朝鮮の改革開放を進め、生き延びて安心していい暮らしができる環境をつくることです。しかし一番大切なことは、実際にその政策は北朝鮮が自ら取るべきことであり、北朝鮮自身の問題だということではないでしょうか。

私は北朝鮮に対して、ベトナムの教訓を参考にして欲しいと思います。ベトナムはアメリカから非常に大きな被害を受けた国です。戦後非常に厳しい状況を経て、アメリカの脅威を感じながら軍事力をそのまま残し、70~80年代は経済を軍事力に集中させました。その結果がいわゆる「ボートピープル」で、数百万人の国民を南シナ海で鮫の餌にしてしまいました。そこでベトナムの共産党政府は気付きました。敵は外にはない、内部にあると。ベトナム自ら、敵だったアメリカに接近し、関係改善を図りました。ドイモイ(改革開放)政策です。今は希望に満ちたベトナム経済が実現し、もはや「ボートピープル」はなく、外国にいたベトナム人達が自由にベトナムに入ってビジネスを行っていることを聞きます。

北朝鮮はアメリカが自分達を暗殺すると考え、軍事力を保たなくてならない、核兵器や弾道ミサイルが必要だという状況に追い込まれている気がします。自分の敵は外ではなく内にあり、体制の改革開放を行い、希望を導く国に転換することが必要なのではないでしょうか。やはりアメリカとの関係改善が必要な時期であり、我々にできることは、それができる環境をつくることだと思います。

今まで韓国は、南北ばかりを見て問題を解決しようとしてきました。しかし、それだけでは足りません。朝鮮半島の問題は国際性を持つものであり、地域と一緒に問題を解決していく構図が必要だと思います。10年前からERINAは環日本海のアイディアを持ち、豆満江の開発や羅津・先鋒、琿春の開発などを進めてきました。そういう構図の中で、南北問題と一緒に共同の繁栄にもっていくような創造的な発想が必要です。韓国側も新潟の皆さんも頑張って、共同繁栄できる体制をつくっていきたいと思います。そのために、北朝鮮の核問題が早く解決することを望みます。