北東アジア経済圏の形成と上越コリドールの未来(賛助会セミナー併催)

開催日 2004年6月22日
会場 朱鷺メッセ中会議室301
講師 早稲田大学学事顧問(前総長)、ERINA理事 奥島孝康
報告書 ERINA BUSINESS NEWS Vol.44

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早稲田大学はいま、海外の大学との交流協定を400ぐらい持っており、日本では一番多くなっています。日本がアジアの一員としてどう生きていくかを考えると、アジアを中心としたネットワークをつくっていかなければなりません。アジア志向、これを私の早稲田大学8年間での政策の中心に置きました。中国とは約30校、韓国とは約20校と協定を持っています。それまでの早稲田大学のヨーロッパ志向、ドイツ志向を脱し、アジアの一員として研究教育のネットワークづくりを行ってきました。

今年4月から発足した国際教養学部は学生数600、入学すると同時に英語で教育し、1年間は協定校で勉強することになっています。世の中のスタンダードが英語中心になってきていますが、私たちの特色は必ずもう1カ国語できるように勉強させます。特に力を入れているのはロシア語で、早稲田大学は日本で最初に露文科を置いた歴史があり、モスクワ大学、サンクトペテルブルグ大学、極東大学などとの交流を持っています。そのほか中国語、韓国語にも力を入れています。本当に親密な関係をつくっていくのは、お互いにその国の言葉が話せるかどうかで、とりわけ北東アジアにはそれが必要です。

東アジアというのは学問的な概念として定着しつつあり、さらにロシア極東やシベリアを加えた経済圏が注目され、FTAが我々にとって最もシリアスな課題の一つではないかと思っています。こうした研究ができるようなネットワークをつくっていこう、さまざまな機関との協力関係を築いていこうという段階にあって、私たちもERINAをバックアップできるような仕事ができればいいと考えています。

物事は投資がなければ進んでいきません。投資にもいろいろな形があります。大学というのは経済的投資をやっていくことは不可能です。お金があればSRI(Socially Responsible Investment)という投資がしたいのですが、私たちが行うのは人に対する投資、学術文化交流に対する投資です。大学は100年の計を立てなければいけません。それは人づくりです。北東アジア経済圏をつくっていこうと考えるならば、ヒューマンネットワークがインフラストラクチャーとしての意味を持ちます。

早稲田大学がアジア太平洋地域の研究教育ネットワークのゲートウエイになろう、というのが私たちの願いでした。簡単なことではありませんが、こうした想いで全学を動かしていくと、教職5,000人、学生50,000人の全体が少しずつ動いてきます。動いてくると、その面での教育者も急に増えてきます。私が総長に就任したとき、早稲田大学にはアジア研究者が数人しかいませんでした。いまは100人を超えているでしょう。その成果として、アジアをテーマとした人文社会科学で2つの21世紀COE(Center of Excellence: 世界の大学に伍する研究拠点づくりを推進するプログラム)を取ることに成功しました。

私立大学は国立大学とまともに競争はできません。国立大学の学生1人には国費が平均450万円投入されます。私立大学の学生1人には15万円ぐらいしか投入されません。85万円の授業料と15万円の国費、併せて100万円で、450万円と対抗しなければなりません。私が総長になって8年間唱えたことは、早稲田大学は東大ではない、東大を目指さない、ということです。早稲田の特色をつくろうと投資の方向を明快な目標に沿って傾斜配分し、引っ張ってきました。その一つがナノテクノロジーで、ここでもCOEを2つ取りました。そしてアジア太平洋との共生というテーマのもとに、大学の方向付けを行いました。

まず、早稲田大学がアジアに関心を持っていることが世の中から見えなければなりません。旗を立てることです。次に、日本海と太平洋のリンケージということを盛んに言っています。例えば、埼玉県本庄の上越新幹線と関越自動車道に囲まれたところに27万坪の土地があり、我々はここに新幹線の駅をつくれば新しい研究開発拠点をつくることができると考えました。取り組んで3年、今年3月に本庄早稲田駅ができました。このことも見越し、川口にNHKがフィルムアーカイブスをつくるのにあわせ、私たちも川口芸術学校を設けました。そこではデジタル映像に取り組んでいますが、ゆくゆくは本庄の国際情報通信研究科と結び、本格的なデジタル情報のメッカをつくりあげていこうと考えています。さらに上越新幹線を経由して新潟に、あるいは北東アジアの国々の協力関係に組み込まれていくような準備をしていこうと思っています。日本海と太平洋のリンケージという大きな目標を立ててやっています。

我々は人間ですから、計画してもその通りいかないこともあるし、計画をしなくても何かが浮かび上がってくることもあるでしょう。環日本海の経済圏をつくっていくためには、相当意欲的に、意識的に、具体的に取り組まなければならないでしょう。アジア太平洋という観念は、全体的に大きく動き始めたといっていいでしょう。ASEANプラス3の動きが顕著ですが、これも大変な課題を抱えていて、簡単に出来上がるものではありません。まして環日本海では相当緻密な詰めが必要です。だからこそ、環日本海という閉じられた形ではなく、日本海と太平洋のリンケージを考えた「上越新幹線コリドール」というようなものを構想する必要があるのではないでしょうか。

 

東アジアを構成するCJK(中国、日本、韓国)3国はこの中でも最も先進的で、文化的、生活的に共通性を持っており、経済的にも圧倒的な力を持っています。

私は山登りが好きで、最近、韓国でいちばん高いハルラ山のある済州島へ行きました。ロッテの重光オーナーが早稲田出身で、誘ってくれました。先々週は、オリンピックの聖火ランナーとして走らせてもらいました。三星の会長が早稲田出身で、三星がオリンピックのスポンサーをしていることが縁です。このように3国の間では人間的なネットワークが強力です。中国では江沢民主席からお茶に誘われ、一緒に詩の話をしました。こうした共通に持っている教養、文化的な共通点などが3国の人たちの心を近づけています。これが契機となって経済的なものに及んでいくとすれば、教育・研究を通じてのヒューマンネットワークをつくりあげることは大切です。世の中は未来を若者に託すより仕方ありません。仕方ないという消極的な意味ではなく、相互に交流できるような基盤をつくることが必要です。

託すより仕方ありません。仕方ないという消極的な意味ではなく、相互に交流できるような基盤をつくることが必要です。

 

これからの時代は物を何万トン移すということが問題になるのではなく、小さな技術、それが集約されたものが交流しなければなりません。そういうものに力を込めなければ日本の未来はないということははっきりしています。例えば、中国と日本の労働賃金の差は26倍ぐらいあると私は思っています。中国の13~14億人の国民の中で、実際に第一線で関わっている人は2~3億人です。賃金が高くなって競争力が落ちそうになると、その人たちを戻し、そうでない人たちを生産拠点に持ってくる。労賃が10倍より縮まることはないだろうと思っています。どんなに競争しても、どうしようもありません。我々が考えなければいけないのは、技術中心ということにより自信を持ち、腰を落ち着けて新しい技術をつくり上げていくべきことです。

そのために、我々は北九州に大学院を進出させました。北九州ではいつのまにかハブ開港の機能を持つ響灘の開発が進んでいます。釜山と競争力を持つ開港が日本にも必要です。しかしそれがどこにもない。それが北九州にいつの間にか完成しようとしています。いつの間にか24時間国際空港が完成しようとしています。かつての関釜連絡船のような大陸と日本のコリドールが復活する予感がします。そこで培われたた技術を掘り起こし、国際競争力のある環境技術開発に参加できるのではないかと、情報生産システム研究科という大学院をつくりました。ここでは学生の半分以上を韓国、中国から入れています。

また、早稲田大学のロボット技術を生かしながら、これからの環境問題、ゼロエミッションによる地域形成の研究を、本庄を中心にやっていこうと考えています。早稲田大学は大規模大学として日本で最初にISO14000認証を受けました。私はコーポレートガバナンス学会の会長を10年やっていましたが、コーポレートガバナンスを含むCSR(Corporate Social Responsibility)という運動が進んでおり、このCSRもISO基準に組み込もうという議論がされています。ゆくゆくは、コーポレートガバナンスがISO基準化され、上場資格、入札資格、融資の格付けなどに影響してくるでしょう。賃金が安くて競争力があることも大事ですが、品質が非常に重要になってきます。各地で集積された技術をもう一回磨きをかけ、新しいレベルのものを作り出すことによって、〝ものづくり日本〟の伝統を取り戻さなくてはなりません。

 

日本にある資源は人間だけです。その人間が少子化しています。若者たち一人一人が一騎当千の優れた選手になるよう仕立て上げることが大事です。同時に、そういう教育ができるような機関を整備することによってアジア各国からの留学生を集め、日本の若者たちをアジアに出し、地域の問題を解決するためにはどうしたらいいかといった問題意識をもつ若者たちを育てていかなければなりません。そこにこれからの大学の役割があると思います。

私たちは、学生たちをどんどん外国に出していこうと考えています。出せば、こちらも受け入れなければなりません。現在、留学生交換は、500人を受け入れ、500人を出しています。そのほかに、留学生が1,000人ぐらいやってきます。これから短期間のうちに2,000人送り出すことによって2,000~3,000人を受け入れようと、宿舎建設などに取り組んでいる状況です。

日本のサバイバルとともに、日本はアジア化しなければならないと考えています。その時に大切なことは、日本が、早稲田が、学問的にキラキラ光るものを持っていることです。日本の文化に磨きをかけるような仕事をやろうじゃないかと考え、世界でたった一つの日本語教育研究科をつくりました。現代日本語の機能に着目したプロジェクトが今度COEを取ることに多分、成功するでしょう。

日本海側と太平洋側とを結ぶ最も近い上越新幹線のコースを通し、これを大動脈として、学問交流をベースにしながら次第に産業のコリドールに膨らませていく。こうした大きな筋書きを書いても、着眼大局、着手小局、具体的に一歩ずつ前に進むには何が必要かを考えていかなければなりません。

大学生交流だけではもう遅く、高校生の時代から、日本のように甘い世の中は世界にはない、これから国際化され、ひとり立ちしてやっていくことは大変だ、そういうことを日本の若者たちに思い知らせるようなプロジェクトを組んでいかなければいけません。私は自然体験活動推進協議会の会長もやっており、小中学生までは自然体験で鍛えるべきだと思いますが、高校生、大学生は外国に放り込んで、どうやって生きていかなければならないか、孤立無援の思いをいまの若者たちにさせていく工夫をしなければいけません。

 

環日本海の中核をなす港湾都市はどこだろうというときに、誰もがここだと言えるような形の見えるところがありません。たとえば北九州、福岡は韓国と対抗するために必死でやっています。それを環日本海でやる力を持っているのは新潟だと思いますが、目に見えるようなものがありません。それは、政令指定都市がここにないからだと思います。少なくとも政令指定都市になれば、目に見える政策を打ち上げていくことができる、旗を立てることができます。

早稲田大学が旗を立てるために何をしたかというと、まず学内ではアジア太平洋研究科という大学院をつくりました。北九州に情報生産システム研究科という大学院をつくり、アジアへの玄関口にしました。シンガポールに高等学校をつくりました。誰が見ても早稲田大学の政策はアジアだとわかる旗を立てました。そういう旗を環日本海で掲げる必要があります。環日本海の外側にいると見えないようでは、どうにもなりません。それができるために、新潟が政令指定都市となり、旗を立てる資格を持つべきだと思います。

日本はいま、科学技術創造立国ということを叫んでいます。政府はベンチャー企業を1,000ぐらいつくりたいと大学に呼びかけ、私は早

稲田大学で100は引き受けますと言い、現在すでに50をつくり上げています。力をあわせれば、日本で1,000のベンチャー企業をつくることはたいしたことではありません。同時に、環日本海で新たな交易をやっていくベンチャー企業をつくることも十分可能性があります。新潟が旗を振る、旗を振ることのできる新潟にならなければいけません。いまの合併が70万人代とお聞きし、その点で若干危惧の念を抱いています。

 

北東アジア経済圏が実体を持って形成されるには、上越新幹線コリドールがどのような形で関わっていくかに大きくかかっているのではないかと感じています。アメリカはアメリカでFTAを形成し、ヨーロッパはヨーロッパでEUを形成し、それぞれ大きなブロックを形成しました。日本がどう関わっていけるかを考えると、アジアという大きな経済圏の中の有力な、そして誰からも喜ばれるパートナーという方向を目指さなければいけないことは、はっきりしています。そういう意味で企業も一斉にアジアに目を向けていますが、どういう形で投資をしていくかについては見当がつかない、というのが現状ではないでしょうか。日本海圏だけで持続的に何かができる、ということでは大きな展開は望めません。太平洋とのリンケージを考えることが大切だと考えます。