地方発 北東アジア経済交流・東京シンポジウム

開催日 2004年9月6日
開催地 東京都
講師 笹川平和財団会長 田淵節也
新潟県知事 平山征夫 ほか
プログラム 第1部 シンポジウム
基調報告・事例報告・鼎談
第2部 交流会

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趣旨説明

司会
ERINA経済交流部部長代理 中村俊彦

環日本海交流が、日本海側自治体を中心に地域発展の一つの柱として進められ、10数年経ちました。いろいろな状況が変化する中で、北東アジアとどう向き合っていくかということが、地方だけでなく全国的な議論の中で必要になってきたのではないかと思います。
今年、ERINAでは、笹川平和財団の助成をいただきながら「東京セミナー」を連続シリーズで始めました。こちらの方は、全国的な北東アジアの議論を深めていこう、連携を取っていこうという狙いで行っていますが、これと並行して本日のシンポジウムは、経済交流を中心に地方の情報を皆さんにお知らせし、お互いに啓蒙しあおうという狙いで開催いたします。

基調報告

進展する多国間協力と地方間経済交流

ERINA経済交流部長 中川雅之

初めに、ERINAで捉えている北東アジアの特色についてご紹介します。通常、北東アジアとはロシア極東、中国東北部、韓国、北朝鮮、モンゴル、日本の6カ国・地域を指します。この地域の特色としては、資本、天然資源、労働力、技術、土地といった生産要素が偏在していること。非常に大きな経済格差が存在すること。この2つが挙げられます。各国・地域の1人当たりのGDP、人口で格差の大きさを見ると下図のとおりです。

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ERINAは1993年10月、当時の通商産業大臣の認可を受け、新潟市で設立された財団法人です。設立の目的は、北東アジア経済に関する情報の収集および提供、調査および研究等を行うことにより、わが国と同地域との経済交流を促進し、もって、北東アジア経済圏の形成と発展に貢献するとともに、国際社会に貢献することであり、シンク&ドゥタンクとして活動しています。その実現に向けて、私どものドゥ機能としてマクロからのアプローチ、ミクロからのアプローチがあり、それぞれ調査研究部、経済交流部が担当しています。

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地方レベルでの国際協力のうち、多国間協力あるいは多地域間協力として継続的に行われているものとして、ERINAの主要な業務であり毎年新潟で開催されている北東アジア経済会議のほか、北東アジア地域自治体連合、東アジア都市会議などがあります。これらはいわばマクロのアプローチによるものです。
2国間あるいは2地域間の協力の例としては、日中経済協力会議、北陸・韓国経済交流会議、日ロ沿岸市長会議、日朝友好貿易促進日本海沿岸都市会議などがあります。これらはいわば、マクロからのアプローチとミクロからのアプローチの中間に位置するものと言えます。
各地の経済連合会などを中心に、関係諸機関が民間企業へビジネスチャンスを提供するということで働きかけを行っています。これがミクロからのアプローチに基づく地方レベルでの企業間の経済交流で、その実例のうち主なものをご紹介します。

北海道では、

  • 極東ハサンに木材工場 道内2社が技術供与(北海道新聞03年5月17日)
  • 旭川・正和電工 バイオトイレ、ロシアへ輸出(北海道新聞03年8月22日)
  • 道機船連と稚内機船漁協 冷凍ホッケを中国に初輸出(北海道新聞04年3月31日)
  • 道産イモ、北朝鮮ですくすく 道庁OBら指導、3年で3倍(北海道新聞04年5月29日)
  • 稚内の北友ストアー、サハリンへ食料品輸出(北海道新聞04年7月3日付)

青森県では、

  • 青森産リンゴ、北京に 1個200円で試験販売(東奥日報04年4月17日)
  • 上海向け県産リンゴ 贈答用中心に健闘(東奥日報04年6月11日)

秋田県では、

  • 「秋田杉」海外デビュー 中国・国際見本市に出品(秋田魁新報03年3月28日)
  • 中国政府系商社が来県 秋田杉の販売に意欲(秋田魁新報03年8月28日)

山形県では、

  • ミネラル炭、中国に輸出 生ごみたい肥化の資材に活用(山形新聞03年1月29日付)
  • 県産間伐材を試験輸出 中国向け販路拡大(山形新聞04年4月22日)
  • 庄内産杉、中国に試験輸出 市場開拓へ手ごたえ(山形新聞04年7月8日)

新潟県では、

  • 亀田製菓、中国へ進出 青島に工場、年内稼動(新潟日報03年1月9日付)
  • 三条でビジネスセミナー ロシア市場可能性探る(新潟日報04年6月23日)
  • ハバロフスク・テクノセンター 新潟で誘致説明会(新潟日報04年7月28日)

富山県では、

  • タイワ精機 中国で精米機部品調達(北日本新聞03年9月10日)
  • ジャクリン、カシミア原糸を現地調達 中国で一貫生産体制を目指す(北日本新聞03年12月10日)
  • インテック合弁会社 韓国企業と日本国内販売提携(北日本新聞04年6月4日)
  • 〝越中売薬〟モンゴルでPR 元首相ら招き富山フェア(北日本新聞04年7月17日)

石川県では、

  • 山越、繊維関連インテリアでロシアにデザイン基地(北陸中日新聞03年6月19日)
  • 繊維の前多、北京見本市で手応え サンプル依頼120点(北陸中日新聞04年4月9日)
  • サイプレスソフト 5カ国語自動翻訳し返信メール(北陸中日新聞04年4月24日)

福井県では、

  • タキナミホーム 中国床財、家具を販売(福井新聞03年8月1日)
  • 本県伝統工芸品、県産織物 ウラジオストクで展示、即売(福井新聞04年4月15日)

鳥取県では、

  • いなば石材環境整備協同組合 中国琿春に合弁会社(日本海新聞03年10月26日)
  • 境港の北朝鮮入港船 昨年409隻、全国最多に(日本海新聞04年1月31日)
  • グッドヒル 北京市郊外に新工場(日本海新聞04年4月27日)

島根県では、

  • 山陰合銀、人民元建て融資開始 中国進出企業を支援(山陰中央新報03年7月2日)
  • 浜田港、島根県産材を初輸出 中国向け需要拡大に期待(山陰中央新報04年2月8日)

他にもいろいろありますが、品目は農林水産品から、繊維、機械部品、医薬品、ITにいたるまで、多岐にわたっています。内容も、輸出入取引だけでなく、展示会や商談会、業務提携、事務所の開設などについてもロシア、中国、韓国、モンゴルと日本の間で、双方向で増えつつあり、特に中国案件が急増している現状がうかがえます。
もともと交流とは双方向のものであり、経済交流は相互理解に始まって相互信頼、最終的には相互利益なしには成り立ちません。日本海沿岸各地の企業の動向を見ると、北東アジアの地方間で多地域、多品目、多方向の経済交流が進みつつある、と言えるのではないでしょうか。

事例報告1)

サハリンビジネスの現状と観光インバウンド

北海道経済連合会事務局次長 工藤孝夫氏

北海道の国際化を推進するため、いちばん近い外国・サハリンとの経済交流を進めることが重要であるという認識の下、サハリンの現状を踏まえ、北海道企業が進出可能な分野の模索と、観光面での経済交流をまとめました。
サハリン州の面積は87,100平方キロメートル、北海道とほぼ同じです。サハリン州の2002年の貿易高は9億8,470万ドル(前年比5.7%増)、うち輸出高が7億510万ドル(同3.3%減)、輸入高が2億7,960万ドル(同38.3%増)です。輸出額の構成は、燃料・エネルギー資源が59.4%、食品25.2%、輸入額は機械・設備・輸送手段が48.6%、金属・金属製品16.0%となっています。サハリンからの主な輸出先は韓国、日本、シンガポール、中国、米国、ドイツの順で、主な輸入先は米国、日本、韓国、カナダ、シンガポール、英国の順です。日本への輸出額は2億400万ドル、日本からの輸入額は2,800万ドルとなっています。

サハリンの住宅環境についてお話します。住宅建設はソ連時代には国家予算で行われていましたが、ソ連崩壊とともに予算が激減し、90年代末にはほとんどゼロとなりました。個人による住宅建設は少しずつ増える傾向にありましたが、2002年には再び減少に転じました。このため住宅が不足し、中古住宅の価格が上昇しています。またサハリンプロジェクトの進展が住宅価格の上昇をもたらし、ここ1年間で30%値上がりしたと聞いています。1平方メートル当たり800ドル程度ということです。
サハリンの建築専門家は、日本で普及しているような鉄筋コンクリート造りがサハリンには適していると見ています。サハリン州建設局は解決すべきこととして4つの課題を挙げています。住宅の断熱の充実、個々の住宅の水道・温水・暖房の確立、飲料水の効果的な浄水システムの創設、下水の新しい浄化技術です。
次に、ビジネス・生活関連物資、住宅関連資材の状況と供給元についてお話します。まず、オフィス用家具が不足し、選択の余地がありません。価格の安いロシア製の家具が70%を占めています。事務機器、パソコン周辺機器はほとんどモスクワから仕入れていますが、パソコン本体の多くはアジア諸国で製造されたものをロシア国内で組み立てたもので、故障が非常に多いそうです。デジカメも販売されていますが、プリントする店がほとんどなく、売れ行きはあまりよくないそうです。家電製品は、品質が悪く価格が安いロシア製、品質も価格も中程度のアジア諸国からの輸入品、価格が高く品質のいいヨーロッパ製に分類されます。建材はサイズ、色、材質、品質によって価格にも差があります。
続いて食材の供給状況です。住民が食材を購入する場所は、まとめ買いするときの卸売り問屋、ルイナク(自由市場)、マガジン(商店)、高級食料品店です。肉はアメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、国産などさまざまです。コメは中国からの輸入で1キロ当り56円、牛乳は70%が地元サハリン産で1リットル74円、バターは大部分が国産で1キロ当り350円程度。卵はサハリン産で10個107円程度です。果物は中国からの輸入、野菜はサハリン産などが豊富です。
サービス分野では、ユジノサハリンスクには外国人が経営しているホテルが9軒、それ以外は設備やサービスの水準が低く、実質上ロシア人だけが宿泊しています。宿泊料金が高く、外国人が最も利用するサハリン・サッポロは1泊15,000円です。サービスは全体としてかなり向上しています。ユジノ市内には60軒ほどの飲食店がありますが、料金が高く、地元住民が利用することは少ないです。レストランは食事の場所ではなく、結婚式や誕生日などの祝いの場所ということです。

サハリンビジネスとして、住宅部門と食品関連部門に注目しました。住宅分野では、一般住宅の改善が衣食住の中でひときわ遅れており、サハリン州知事は住宅着工数の拡大を政策の一つとして挙げ、銀行の住宅ローン拡大を進めています。加えて、抵当権の未整備や融資事故などの問題解決が必要となっています。サハリン州で供給できる建設資材は木材加工品、砂利類に限られ、ほとんどが輸入に頼っています。この状況を踏まえ、北海道企業の参入が期待される分野は、断熱や暖房、上下水道の浄化など、住宅建設分野の最新技術、鉄筋コンクリート住宅の建設と必要な資材の供給が考えられます。

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食品関連部門では、北海道では食品産業の比重が大きく、中でも水産業が4割近くを占めています。しかし近年は、若年労働者不足や経営者の高齢化等により水産加工場が減少傾向にあり、その中古機材やプラントの流通市場としてもサハリン州に大きな期待をしているところです。サハリン州の鉱工業生産では、燃料・工業分野が6割弱を占めていますが、食品工業分野が28%のシェアを持っており、サハリンの重要な基幹産業といえます。ここに一つの共通点があると考えられます。食品関連産業のビジネス拡大に向け、サハリンの水産加工業者は食品の品質改善や効率化、日本をマーケットとした商品の開発に関心が高く、北海道企業が持っているノウハウや遊休プラント、機械類のニーズ等もからんで、北海道とサハリン州が一つの経済圏となって食品産業を育てることが可能になると期待されています。
しかし、実際にビジネス展開をしている中で、多くの課題が待ち受けています。輸出入や現地進出など、サハリン関連のビジネスについて解決すべき課題を整理すると、7項目が挙げられます。通関・関税の問題、輸送手段が少ない問題、良好なパートナーの選択、複雑なロシア法制度への対応、情報の収集と迅速な対応、日本製品の価格が高いと言うイメージに対する上手な売り込みの問題、言葉の問題があります。

次に観光インバウンドについてお話します。北海道とサハリン間の往来の状況は、航空便が函館-ユジノサハリンスクが週2便、新千歳-ユジノサハリンスクが週2便、いずれも36人乗りのプロペラ機です。このほかビジネスチャーター便がサハリン1でユジノ-新千歳が週2便、サハリン2でユジノ-函館が週2便あり、社員は無料、空席があれば家族も無料で乗れます。定期フェリー便は稚内-コルサコフが所要時間5時間半、小樽-ホルムスクが所要時間18時間です。
観光インバウンドは、所得の高いサハリンプロジェクトの欧米系従事者を対象にしています。サハリン2のサハリンエナジー社の勤務状況は1日9時間、休暇は3週間程度の連続休暇が年2~3回、採掘現場は1日12時間勤務で28日連続勤務、28日連続休暇という状況です。またサハリン2エクソン社の現場勤務は21日連続勤務、21日連続休暇です。彼らの本国への出張、帰国ルートは北海道-成田-ヨーロッパ、モスクワ-ヨーロッパ、ソウル-ヨーロッパで、北米へはソウル経由、北海道-成田経由の順となっています。
彼らのサハリンでの余暇の過ごし方は、映画館、劇場、ディスコ、カジノ、ボーリング場などの娯楽施設がありますが、マンネリ化とのことです。スキー場は1カ所ありますが、地元住民にもあまり利用されていません。ゴルフ場はありません。彼らの北海道での過ごし方は日用品、食材、スポーツ用品などの買い物が一番で、駐機時間を利用して日帰り温泉入浴もやっているようです。ゴルフやスキー、病院にも行きます。
ピーク時にはサハリン1で16,000人、サハリン2で15,000人が従事すると推定されており、ビジネスチャーター便の増加も予想されます。しかしサハリンの欧米人は北海道の情報をあまり持っていません。欧米系の従事者は生活のメリハリを付ける意味で余暇の活用を重要と考えており、金額に見合う価値が得られるのであれば、お金を惜しまないそうです。
欧米系従事者に対し、さまざまな機会、方法を捉えて北海道を伝え、北海道を意識させることが大切であり、その中でニーズに合ったメニューを提供していくことになります。そのためには英語版Webサイトの充実、メディアの活用、招聘事業の実施、現地情報の収集などの活動が重要です。
北海道経済連合会では平成14年にサハリンタイムズ社の編集者を、平成15年にはサハリンプロジェクト企業の福利厚生担当を招聘し、北海道の良さを実際に体験してもらいました。帰国後は報告会も実施されたようで、大きな成果だったと思います。千歳から東京までの飛行時間は1時間半、ユジノサハリンスクまでも同じく1時間半です。いちばん近い外国・サハリンとの経済交流に向け、努力したいと考えています。

事例報告2)

中国東北三省との経済交流~「2004日中経済協力会議-於仙台」開催

東北経済連合会 福島昭夫氏

東北経済連合会が北東アジア、特に中国東北三省との経済交流を始めた経緯とこれまでの取り組みを中心にご報告します。
2000年5月、21世紀における東北経済界の目指すべき方向として、東北新世紀ビジョン「ほくと七星構想」を策定しました。その中で、東北の目指すべき将来像のひとつに、「人・もの・情報・分化が活発に交流し、世界に発信する東北」を掲げ、グローバリゼーションが進む中で地域経済の活性化・発展を図るため、広く海外に向けて活動を展開してまいりました。
東北の対岸に位置する北東アジア地域は豊富な天然資源などの開発が世界的な注目を浴び、東北の日本海側の主要都市において人・ものの交流が活発に行われています。そこで、北東アジア経済圏の形成を当面の重要課題に掲げ、活動を展開してきました。なかでも地理的にも歴史的にも一番近い関係にあり、しかも地域の地道な努力で築いた物流ルートや人脈が既に構築されている東北三省との経済交流に重点的に取り組んでまいりました。
東北三省との経済交流に関する具体的な事例をご紹介しますと、ひとつは「東北水上シルクロード」があります。1992年5月に山形県と黒龍江省との間で、ハルビン市から松花江(アムール川)、日本海を経て、酒田港に至る全長2,800キロメートルの航路が開設され、トウモロコシなどの貨物を酒田港に直接輸入する画期的な物流ルートが確立しています。
もうひとつの物流ルートとして、ポシェット航路があります。秋田県では1999年から、吉林省延辺朝鮮族自治州の図們地域の農家に委託してタマネギ栽培を始めています。このタマネギや御影石などをコンテナ貨物で運ぶため、秋田港とロシアのポシェット港を結ぶ航路が開設されていますが、残念ながら諸般の事情により昨年7月から休便となっています。これに代わる東北三省と日本との最短の物流ルートについては、このほどERINAなどの努力によって設立されたNPO法人「北東アジア輸送回廊ネットワーク」により、一日も早く構築していただくことを期待しています。
こうした物流ルートや人脈・組織が形成されてきたことに伴い、東北三省への企業進出も年々増加してきています。東北から中国東北への企業進出数は2002年で45社、うち遼寧省が35社で大半が大連市に集中しています。前年には27社でしたから、わずか1年で18社も進出したことになります。
友好都市提携も多く見られ、現在18カ所あります。主な例では、宮城県と吉林省、山形県・新潟県と黒龍江省、市レベルでは仙台市と長春市、山形市と吉林市、新潟市とハルビン市、上越市と琿春市などがあります。
さらに東北と中国間の国際空路、国際コンテナ航路も就航しており、日中東北間の経済関係はますます緊密度を増しています。新潟空港からはハルビン便と上海・西安便、仙台空港からは大連・北京便、上海・北京便、長春便、福島空港からは上海便が出ており、計6路線15便が就航しています。
国際海上コンテナ航路では、東北と中国の間で八戸、秋田、仙台塩釜、小名浜、新潟、直江津の6つの国際コンテナ港湾から大連、上海、青島便など12航路が就航しています。これら航路では食料品や衣料品などの生活用品関係の輸入品を中心に貿易が増大していますが、韓国船社などによる釜山経由の間接航路のため、時間的にもコスト的にも非効率な航路となっています。今後、中国との直行航路の開拓が課題となっています。私どもでは官民合同調査団を中国に派遣し、戦略的な国際物流についても調査検討しているところです。

中国東北三省との東北経済連合会の最初の取り組みとしては、まず2001年9月、37名による北東アジアミッションを派遣しました。翌年9月にも76名の中国・東北日本国際交流ミッションを派遣し、日中国交正常化30周年記念式典にも参加しました。同時に、官民の物流関係者20名の中国東北・江南部国際物流調査団を派遣しました。中国における港湾、高速道路などインフラ整備の開発規模の大きさとスピードに圧倒され、各県・各港湾単位で取り組んでも勝負にならず、東北全体としての広域連携による取り組みが不可欠であることを痛感しました。
こうした実績を踏まえ、今年3月、「2004年日中経済協力会議」をわが国で初めて仙台市で開催しました。この会議はわが国と中国東北地方との経済交流の促進を図るため、日中東北開発協会と東北三省及び内モンゴル自治区の人民政府が主催しているものです。2000年の瀋陽市での第1回開催に始まり、2001年には長春市、2002年にはハルビン市で開催され、省都を一巡した後の日本開催に、同じ東北の仙台市開催が実現したものです。
昨年6月開催予定だったものがSARSにより今年3月に延期されたものですが、中国新指導部のもと、東北三省の旧工業基地振興を打ち出した「東北振興政策」が国策として正式に決定され、実際に動き出したタイミングでの開催となりました。中国側からは、三省の省長はじめ内モンゴル自治区の副主席、瀋陽市長、大連市長、長春市長などの幹部や企業関係者など約700名もの参加者がありました。日本からも東北7県の知事、仙台市長や行政、経済関係者など1,100名が参加しました。こうした規模で行政・経済界首脳が一堂に会したことは、日中交流史上でも初めてのことではないかと高い評価をいただきました。
この中で、「日中首脳ラウンドテーブル」を開催しました。中国側首脳からは東北振興政策に触れながら、資源エネルギー、漢方医薬、農産加工食品など中国東北部が強みを持つ産業に加え、石油化学、バイオ、情報通信など新しい産業の発展に期待をかけ、日本からの投資や交流拡大を提案してきました。日本側の首脳からは中国での活動拠点となる事務所の設立、空路・航路の開設など具体的な日中東北連携に向けた提案がありました。
このほか、会議では投資・貿易、情報・技術、運輸、人材交流、地域交流など5つの分科会開催や展示商談会も開催し、今後の日中東北間、日中間の経済交流を促進するために「東北共同宣言」を採択しました。
この宣言の中に、日本の関係組織が共同して中国東北部に視察団を派遣するという項目がありました。せっかく東京を経由しない地方発の交流の道を開拓したわけですから、一層の経済交流促進を図るため、「中国東北部経済交流視察団」を派遣することにしました。実施時期は9月19日から28日の10日間。ハルビン、長春、瀋陽、大連を総勢87名で訪問します。
私ども東北と中国東北三省とは地理的にも歴史的にも深い関係があり、資源、工業力、豊富な労働力を有する両東北地域が、お互いの強みを生かしながら交流をさらに活発化し、共に発展していくことが期待されます。今後のミッション派遣に際しては、表敬や視察の他に、中国ビジネスに関心を持つ企業、業種に的を絞った小規模編成のビジネスミッションの派遣や見本市への参加促進など、具体的なビジネス促進につながる形を取っていきたいと考えています。また北京、上海などについても、すでに東北各県では取り組み実績があり、交流ターゲットに位置付けて取り組んでいきたいと思っています。
将来は中国との交流にとどまらず、広く北東アジア経済圏の形成に向け、国内関係機関、各経済団体との関係協力を一層強めながら、北東アジア経済の交流拡大に取り組んでいく所存です。

事例報告3)

北陸地域の対岸諸国・地域との経済交流の現状と今後への期待
~「北陸(日本)・韓国経済交流会議」を中心に~

北陸環日本海経済交流促進協議会(北陸AJEC)理事・調査部長
朝倉紀彦氏

北陸AJECができたのは1992年。北陸経済連合会を母体とし、北陸3県の県庁の支援や学会関係者の参画を得て、産官学が連携する組織として活動しています。設立前年の91年には旧ソ連が崩壊し、日本海が冷戦の海から交流の海に変わるのではないかという期待が大きく膨らんだ時代です。国連がサポートした図們江開発が華々しく打ち出されたのもこの頃です。
北東アジアという圏域は、ロシアのバイカル湖より東側の極東、中国東北三省(あるいは内モンゴルを含む)、場合によってはモンゴルを含み、そして北朝鮮、韓国を主な対象地域と見るのが一般的ですが、ロシア極東の現状は不満足なものですし、北朝鮮については打つ手がないという状況に追い込まれています。中国東北三省についても、関係はかなり活発ではありますが、大連に集約された関係にとどまっているのが現状ではないかと思います。
北陸3県に該当する諸機関がアンケート調査(平成14~15年)によりまとめた海外進出事業件数は下表のとおりです。東北三省では遼寧省に30件が進出し、多くは大連です。その他、韓国に20件、ロシアに1件という状況です。この調査は企業が回答しなければその数字が出ないと言う性格のものなので、現実にロシアに1件ということはなく、もっと多くの企業が現に進出しています。

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北陸(日本)・韓国経済交流会議に絞ってご報告します。戦後の日韓経済関係は、韓国がNIESの一翼を担い、日本に続く工業国家として台頭し始めた頃から急速に深まってきました。その後、日本企業の進出先が労務費用などの面でASEAN諸国や中国に移行するに及び、徐々に競合面が目に付くような若干冷めた関係になっているかもしれません。しかしグローバリゼーションに伴うリージョナリズムも世界的な規模で進展していることも事実です。日韓間ではFTAの政府間交渉が行われ、来年には正式な合意に至るのではないかと報道されています。日本が地域的な意味で経済統合を目指す相手としては、韓国を置いてほかにないことは誰の目にも明らかだと思います。
日本のFTAはシンガポールやメキシコが先行していますが、日韓間のFTAはそれらと意味合いが違います。1998年3月に、当時の小渕首相と金大中大統領の間で日韓経済アジェンダ21が合意され、同年末、通商産業大臣と韓国の産業資源部長官主催の第2回日韓官民合同投資促進協議会が開催され、その場で北陸(日本)・韓国経済交流会議の開催が合意されました。
日本のFTAはシンガポールやメキシコが先行していますが、日韓間のFTAはそれらと意味合いが違います。1998年3月に、当時の小渕首相と金大中大統領の間で日韓経済アジェンダ21が合意され、同年末、通商産業大臣と韓国の産業資源部長官主催の第2回日韓官民合同投資促進協議会が開催され、その場で北陸(日本)・韓国経済交流会議の開催が合意されました。
北陸経済連合会と北陸AJECは各県商工会議所連合会、各県ジェトロ、北陸産業活性化センター、ERINAの協力のもと、当初から民間サイドの取りまとめ役を務めてきました。第5回会議では、まず官民合同会議が開催され、パートナーシップの構築、産業技術協力、調査研究といった3分野における事業の進捗状況を検討するとともに、今後の推進方策について討議が行われました。その他、北陸ビジネスチャンスセミナー、韓国投資環境説明会、先進技術者交流事業説明会、韓国企業プレゼンテーション、商談会、産業施設視察会、オプショナルツアーが実施されました。
民間サイドとしては、商談会に最大の注力をし、半年ほど前から関心ある企業の掘り起こしを始め、事前の企業間のマッチングにできる限り努め、有望企業の来日を促して商談会に臨む確度を高めるほか、韓国サイドの受け皿となる韓日財団との連携を深めるとともに、ジェトロのソウルセンターにも協力依頼をするなど、アヒルの水かき的努力を重ね、本番に備えました。
商談会では北陸企業28社と韓国企業22社が実際に参加し、当日の商談会で93件の商談が行われ、40件前後が現在も交渉継続中との報告を受けています。具体的成果も、本日現在1件にとどまっていますが、報じられています。金沢のIT関係企業がCAD関係で韓国企業の協力を受けるものです。この会議が発足以来、商談成立に至った件数は、これを含め4件に過ぎず楽観は許されませんが、日本と韓国の経済の一体化という将来を見据え、今後とも努力を続けたいと考えています。
北東アジア経済圏の発展を願っているわけですが、現状は不満足なものです。特に北朝鮮の国際社会復帰が大きな要因になると思います。早期に環境が熟し、北東アジア諸国・地域が一致してこの地域の発展に取り組める時代が到来することを期待します。

事例報告4)

中国地方における北東アジアとの経済交流の状況

中国経済連合会常務理事 村井浩二氏

私ども中国地方5県が拠って立つところは「環三海二山交流圏の形成」です。環三海は日本海、瀬戸内海、太平洋の南北の交流連携。東は近畿・大阪圏との交流連携、西は博多・北九州との交流連携。東西南北の交流連携を深め、21世紀の成熟社会にふさわしい自立した経済圏をつくろうというのが私どものバックボーンです。言葉を変えれば、全方位的な交流であり、的を絞った交流が難しい地域だと思っています。
各県の国際交流の重点地域は、鳥取、島根が北東アジアで、山口が環黄海、広島、岡山がアジア太平洋となっており、姉妹・友好関係も同様です。市町村では特に境港市が北朝鮮の元山(ウォンサン)、吉林省の琿春と友好提携を結び、2002年までは元山にミッションを派遣し、水産加工業者が行ったりしていました。鳥取県、島根県の国際経済交流では、ハード面や企業のサポートなど、精力的に行っています。特徴的なのは、鳥取県はどちらかと言えば県が予算を付けるし実行もする、島根県はどちらかといえば大綱を整理し、実際には「しまね振興財団」が実行部隊となっています。
シンクタンクの機能強化も大切です。鳥取県では(財)とっとり政策総合研究センター、島根県では山陰合同銀行の系列である㈱山陰経済経営研究所があり、2004年4月には島根県立大学に北東アジア地域研究センターが設立されました。
物的な交流、人的な交流には交流拠点、インフラの整備が重要です。国際コンテナ航路では北東アジア全体で33航路あります。中国航路26のうち5航路が北東アジア関連ですが、コンテナの積載能力はだいたい500TEU程度と小規模なものです。ほとんどの航路が複数の港に寄港しており、直行便は山陽側の広島-釜山、徳山下松-釜山の2航路のみとなっています。
境港、浜田港ともに国・県がインフラ整備に力を入れ、ハード面では充実してきています。しかし航路が少なく、混載する業者がいない、周辺に産業集積がない、市場規模が小さい、商社機能がないということで、コンテナ貨物の確保やポートセールスに積極的な活動をしていますが、思うように行かない状況にあると思います。
境港、浜田港ともに国・県がインフラ整備に力を入れ、ハード面では充実してきています。しかし航路が少なく、混載する業者がいない、周辺に産業集積がない、市場規模が小さい、商社機能がないということで、コンテナ貨物の確保やポートセールスに積極的な活動をしていますが、思うように行かない状況にあると思います。
これからは人が大移動する時代が来ます。私どもでも特に韓国、中国をターゲットに、広域観光ルートの開発、情報発信機能の強化などにいろいろな組織をつくり、取り組んでいます。鳥取県、島根県では山陰国際観光協議会を組織し、先般も韓国へ観光PRに行っています。受け入れ側の中国語や韓国語への対応、価格設定、空港からの2次交通の問題など、まだまだ取り組むべき課題が多いと感じています。

貿易の状況は下表のとおりです。

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最近は鳥取、島根で中古自動車のロシアへの輸出が増えています。ロシアの毛ガニを大量に購入し、その代金で中古自動車をロシアに持っていくというようなビジネスモデルですが、それが地場産業への波及効果という点で評価されうるのか、もう少しがんばらなくてはいけないと感じています。
境港は鳥取、島根両県が使っているので、この両県は一緒にして数字を見たほうがいいと思います。両県の環日本海地域との貿易はそう多くはないのですが、全体の貿易量自体が小さく、全体では貿易量の5割を占め、非常に重要な役割を果たしています。

中国東北三省への企業進出状況は下表のとおりです。

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やはり大連を中心とした遼寧省が多く、吉林省へも3件、黒龍江省へも2件、出ています。県の国際交流施策を活発に展開している鳥取、島根県も、なかなか企業レベルの経済交流に進んでいかない悩みがあるかと思います。やはり地場に中小企業が多いとか、自力で情報収集できにくいとか、リスク判断が難しいなどの問題が多いと思います。島根県東部の5つの石材店が琿春に合弁会社を作りました。琿春と境港に荷が動き出し定期航路につながると言うことで、大変期待しているところです。

広島、岡山県にやはり進出が多く、大企業、中堅企業、中小企業があり、出ている業種もいろいろです。

強いて進出企業の共通項を挙げると、次のとおりです。

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マツダが昨年、長春で生産委託を始め、この7月から年産10万台に生産量を上げました。そのため部品メーカーが分かっているところで2社ほど東北三省に出ています。さらに今月、マツダの部品メーカー10数社で長春に訪問することになっています。中国地方では自動車部品が一つの目玉として吉林省との技術交流、直接的な経済交流に拡大していく芽が出てきていると思います。

鼎談

テーマ:北東アジア地方間交流がもたらす地方益・国益・地域益

新潟県知事
田平山征夫氏
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笹川平和財団会長
田淵節也氏
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ERINA理事長
吉田進
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[吉田] お二人はそれぞれ節目となるミッションの団長を務められました。まず1990年に田淵ミッションが中国とロシアを訪問し、95年には平山ミッションがロシアを訪問しました。それぞれの時代に特徴があり、それぞれの役割を果たしたと思います。
さかのぼれば1979年に中国で開放政策が取られ、85年にゴルバチョフがペレストロイカを打ち出し、ロシア極東はアジア太平洋諸国との経済連携なくして発展はないと謳いました。88年には新潟で2つの会議が開かれました。1つは日中ロが参加した日本海シンポジウム、もう1つがアメリカの東西センターが主催した日本海資源管理の国際会議です。こうした時代の中で、田淵ミッションがありました。
[田淵] 北東アジアと日本という、地政学的に非常に関わりの深い問題でお話ができることはありがたいことだと思っています。1990年、日中東北開発協会主催で、大連、ハルビン、ハバロフスクへの経済視察団の団長をいたしました。まだ珍しいこともあって団員の数は約100名、いろいろな人から参加いただきました。副団長には新潟県・亀田郷土地改良区理事長の佐野藤三郎さんにお願いしました。私は80歳になり、もし佐野さんが生きておられたら同い年だと思いますが、私の人生でいちばん尊敬している方です。
三江平原というのは昔、行軍の歌にあった「どこまで続くぬかるみぞ」という泥田です。飛行機で三江平原の上まで来たとき佐野さんは、毛沢東の一の子分であり、鄧小平のいちばんの仲間という王震さん(当時、副首相)が亀田郷のビデオを見て、佐野さんに会いたいと言い、佐野さんも何度も尋ねていかれたという話をされていました。
その時には当然、省長、市長、書記の方といろいろな論議を交わしたわけですが、公式論議ばかりで気の利いた話はなかったという証拠に、思い出すことは何もありません。
ハルビンの松花江とハバロフスクのアムール川の両方で遊覧船に乗らせていただきました。松花江の遊覧船は、乗るや否やご馳走が次から次へと出てきます。アムール川の観光船では水だけで、他には何も出てきません。中国はすでに相当金持ちであり、ロシア極東はお金がない、という感じがいたしました。すでにゴルバチョフのペレストロイカ、グラスノスチのことを我々は新聞で見ていましたが、ハバロフスクではそのことを知っている人は一人もいないというような状況で、モスクワとシベリアの端の方とでは全く別の国という感じでした。その感じはその後ずっと同じで、いまも変わっていない気がします。
ハバロフスクに日本人墓地があり、全員でお参りしました。終戦直後、強制労働でロシアに連れて行かれ、向こうで亡くなった方がほとんどで、なんとも言えず申し訳ないような気持ちで拝んだものです。
もう1つ珍しい話ですが、アムール川の船の上が突如として真っ白になりました。それは全部小さな蝶で、その蝶が落ちてくるわけです。聞けば、きのう生まれた蝶で、たった1日でアムール川に落ち、鮭や鯉の餌になるということです。非常に強烈な印象でした。
[吉田] 90年という時期は、89年に中国は沿海地域の発展という政策を打ち出し、ソ連は91年に崩壊する寸前にありました。遊覧船の上の料理にも、そういうものが出ていたような感じがいたします。
佐野藤三郎さんと一緒に、新潟から藤間丈夫さん(日本海圏経済研究会幹事)がこのミッションに参加し、その後、次のような文章を残していらっしゃいます。「財界はいままで日本と中国、日本とソ連という2国間の経済交流を進めてきた。しかしこの視察団は中国、ソ連、日本という多国間の経済交流の可能性も視察してきたことになる」。この言葉の中に、当時、地方で北東アジアの開発に熱意を示した人の評価が表現されていると思います。
同年、長春で北東アジア経済発展国際会議が開かれ、丁士晟さんから図們江地域開発構想が出されました。そういう時代にあって、このミッションは非常に先駆的な役割を果たされたと評価されています。
時代は進み、94年7月、日ロ経済委員会極東委員会が経済ミッションをロシア極東3州に出します。11月、新潟では第2回日ロ極東知事会議が開かれ、官民合同ミッションを派遣しようという提案が出てきました。モスクワからはサスコベッツ第一副首相が日本を訪問し、貿易・経済に関する政府間委員会をつくろうと提案されました。こうして翌年8月、官民合同ミッションが派遣されるわけです。その団長を平山知事が務められ、3州を渡り歩きました。そのときの回想をお願いしたいと思います。
[平山] 1992年10月に新潟県知事になって12年間、環日本海、北東アジアの交流にはいろいろなことがありました。佐野さん、藤間さんという先駆者から教わりながら、北東アジア交流の進め方を考えてきました。ウラジオストクが開放され、この地域の交流を進めようという中で、ザルビノ港のFSを新潟が支援しました。その後、モスクワから経団連に依頼があって、このFSを経団連もサポートしようということになり、ERINAと経団連が一緒に本格的なFSを行いました。当時の通産省にも何度かこの話をしている中で、官民合同ミッションの話も出ました。当時、私の友人が通産省の局長で、私が団長のミッションで話がまとまりました。そのときのテーマは、橋本・エリツィンプランの状況を見るということがありました。ザルビノ港、ワニノ港、サハリンの石炭の問題などがあり、それぞれのプランに担当の日本大手商社が幹事のように付き、一緒に行きました。
いちばん大きな印象はワニノ港のことです。日本を出る直前にロシア側から担当商社2社にFAXが入り、チュメニから原油を持ってきて精製し、石油製品を日本に輸出するという構想だったものが、それを変えたいということでした。相手の意向を確かめると、ワニノを輸入港にしたい、中東からタンカーで油を運び、ワニノで上げるというもので、輸出と輸入で話がまったく違います。その頃から問題になっていたのがシベリア鉄道の運賃の急騰です。社会主義時代から見ると300倍ぐらいに運賃が上がり、運んできても採算が取れないし、油が足りなくなる。中東から石油を入れる輸入港としてワニノを活用したいということです。それからしばらくして、ナホトカ号が座礁して大騒ぎになりました。
サハリンには結構いい石炭があるので開発するという話でした。いい石炭はあるのですが、港の入り口に砂州があって船が入れません。
ザルビノ港にも天然の砂洲があり、これが波をよけてくれます。水深もあって有望視されていました。特に中国側の吉林省が日本海に出口を求めるというものでした。その後はロシア経済が上手くいかなくなり、このプランもなかなか進まない状態でした。ロシアに対する日本の支援的プロジェクトがいったんご破産になる事件もありました。
こうしたプロジェクトが進み、ロシアの資源を中心とする貿易体制が上手くいくにはどうしたらいいかを探りに行ったわけですが、結果的にはその後、停滞したまま推移せざるを得ない状況でした。ようやくここ2~3年、ロシア経済が安定し、インフレが止まり、7~8%の経済成長を遂げるようになりましたが、この間の時間の経過というのは、ミッションとすれば残念だったなあと思います。また皆で行こうと言ったのですが、その機会もなく過ぎてしまいました。
私どもの北東アジア経済会議も具体的に動き出す段階に来たかなと思っていますが、当時を振り返ってみると、ペレストロイカ以降の大きな期待を込め、団長として張り切って行った思いがありました。
[吉田] 97年には、初めての極東における日ロ経済会議が開かれ、ワーキンググループもできました。日ロ経済委員会は財界を中心に進み、各地方では対岸を意識した会議が開かれ、北東アジア経済会議も伸びてきました。「官民合同ミッション」という言葉にもあるとおり、官と民、中央と地方との関係は、いろいろと交差しながら、重要なものになってきています。
ロシアの場合、小泉首相が出した太平洋パイプラインへの対応として、いろいろな案が出てきています。地方ももちろん関心があるわけですが、こういう問題はやはり中央政府対中央政府が進まないと、その先も進みません。中国では東北振興政策が出されていますが、円借款一つでも中央政府の関与が重要です。その中でこそ、地方が出て行く可能性が出てきます。
日本全体としては、パイプラインの建設に対しては極東に注目し、東北振興に対しては中国3省に注目する動きがあります。他方、地方では、極東よりモスクワに出て行く、中国では上海地域に出て行くという動きが出ています。
中央から地方へ、逆に地方から中央へ、こうした交差した動きが今後どう進展していくのか、平山知事からお願いします。
[平山] 北東アジア経済圏といった場合、EUのように同質的なものを持っている地域と違い、第2次大戦の後始末がまだ残っている北朝鮮、あるいは北方四島という問題を抱え、協力関係が得にくい状況があります。中国やロシアは、その国全部ではなく一部であり、しかもメインの地域ではありません。歴史的問題、経済的問題があり、経済レベルが異なり、持っているものが異なっています。それをセットとして組み合わせることによって初めて成り立つわけです。本当は国家レベルでやっていけばいいのですが、戦後の問題があります。
田淵さんから日本人墓地の話がありましたが、初めてウラジオストクの丘の上の墓に行き、その名簿を渡されるときに外務省から受け取らないように言われました。北方四島との交渉にいい影響を与えないから、と言うのです。しかしお参りして思ったことは、ここで亡くなった人たちのことを日本政府ももっと考えないといけない。そのことを乗り越えてこの国との関係を考えるとき、日本政府の言っていることだけが正しいとは私は思えませんでした。数年後には、名簿を受け取ってきてほしい、ということになりましたし、遺骨の収集も認められるようになりました。
きわめて難しい関係の中で、ロシアも中国も地方であり、戦前から行き来のあった新潟を中心とする日本海側各県が協力して、地方レベルでやっていかなければしょうがないわけです。
経済会議を重ねていると、外務省や通産省など、関係するところの反応はきわめて冷ややかです。北東アジア経済圏の形成は日本国にとって優先課題ではない、という発言もありました。
4~5年前から、経済会議で議論しているだけではしょうがない、理論から実践に移すべきだという声が出ました。そこでERINAが事務局をし、APECを作ったときにPECCがあったように、議論から実践に向けたこの地域共通の組織委員会をつくりました。具体的にはまず、北東アジア輸送回廊を共同作業として策定しました。まずやらなくてはいけないのはインフラとしての物流であろうし、その次にそれを回廊として築き上げようというビジョンをつくりました。
さらにエネルギーと環境という問題があり、この地域全体のエネルギーのあり方などについても実践に踏み出してきました。
実践に踏み出すと、やはり中央政府の関与が見えてこないと進みません。いよいよ中央政府も出てきてください、というのが我々の今の考えです。日本政府だけでなく、輸送回廊についてはすでに中国・北京政府にも話をし、モスクワにも今年、話をしてきました。
北東アジアの課題を中央政府としても取り上げていかなければいけない時期に来たと思います。現状は、ようやく問題意識が出てきたかなというところで、まだ煮詰まっているわけではありません。ロシアも景気のいいモスクワサイドに投資が行われはじめ、極東側は忘れがちというところがあります。さらに北朝鮮問題がどう展開するか。そのとき北東アジア経済圏の問題を日本としてどう捉え、北朝鮮をどう位置づけるかを考えざるを得ないだろう感じています。福田官房長官のときにも、話を聞かせてくれ、ということがありました。NIRAやERINAが、この地域のグランドデザインを描く作業に入っているのは、日朝を中心とするこの地域への日本政府の関わりが、これまで以上に出てくる可能性があると見ておいたほうがいいだろうと思います。
地方レベルで始まった北東アジア経済圏構想がいよいよ中央レベルも関わる時代になってきました。それぞれが役割を分担し、互恵の精神と予防的平和外交、この2つの精神を持ち、それがいかに国益と両立できるのか、これが大きな課題だと思います。
こうしたことを訴えてきましたが、私も10月で知事を降りますので、次の担い手の方々にお願いしたいと思っています。
[吉田] 田淵会長は長い間、日本経済全体を見ながら地方経済も見てこられたわけですが、中央から地方の動きをどう見ていらっしゃいますか。
[田淵] 随分前の話ですが、東京オリンピックが終わった後の日本は景気がよくなり、ヨーロッパ観光の団体旅行が非常に増えました。たとえばパリの市内では当時、日本語で「近畿日本ツーリスト」と書かれた大型バスが右往左往していたのを現実に見ました。高級レストラン・ツールジャルダンに農協の一団が入っていき、いささか顰蹙を買った思い出があります。
人間のやることは同じで、おそらく4年後の北京オリンピックが終わった後の中国人は団体を組んで日本観光に来るという気がします。まず東京に来て、中国の旅行社のバスが走り回る。しかし巨大ビルとコンクリートの東京にはすぐ飽き、たぶん新潟や金沢に行く。海と緑と日本料理を堪能する。投機や漆器を鑑賞し、作らせて貰う。日本ファンになる、と思います。
北東アジア経済問題はたくさんありますが、実質的には人間関係を通じて大きく発展し、展開するのではないでしょうか。その時こそ、北東アジアの実質的なセミナーを行うことが必要ですし、そのお手伝いを我々は今後ともやっていきたいと感じているところです。
[吉田] 観光が人と人との触れ合いを深め、大きな交流につながっていくというご指摘だったと思います。小泉首相が1,000万人の観光客を呼ぶことを打ち出していますが、特に北東アジアから来る人たちをどう増やしていくかは、地方にとって大きな課題だと思います。
最近の日本の動きを見てきますと、ASEAN+3ということから、東アジア共同体を結成しようという動きが出ています。ロシアではエネルギー戦略を確立させよう、年末までにパイプラインのルートを決めようという動きが出ています。中国の東北振興政策では、いくつかのシンポジウムが開かれ、各国にアピールしています。朝鮮半島の問題では6カ国協議が難航していますが、その先を見越して、北と南の間では4大プロジェクトを具体化しようという動きが出ています。
こうしたことで世界の注目を北東アジアに集めているわけですが、今後、どのような見通しがあるか触れていただきたいと思います。
[平山] 北東アジアは経済圏としての仕組みがまだ出来上がっていません。補完的機能を有機的に組み合わせて発展する経済体制に至っていません。これをいかに構築するかが課題ですが、ようやくそのことが出来る時代になってきました。ロシアも中国もマーケットとなってきて、経済的な仕組みを作ることによって発展できる可能性のある時代が来ました。
もう一方で、中国経済の発展は、単なるメガコンペティションとかメガマーケットだけではなく、お互いが特技を発揮し、有機的な関係を結びながら発展する様相を呈しています。こうした生産システムがロシア極東や東北3省にはまだ出来ていませんが、東アジア全体ではかなり生まれています。北東アジアというくくりの中でどうしていくか、意識的に考えていかないといけないと思っています。
黒龍江省には国有企業が1,000社ほどありますが、絶対大丈夫だという企業が50社、もう駄目だという企業が300社、残りがどっちか分からないというのが彼らの見方です。東北3省の国有企業を中心とした経済がこれからどうなるのか。北東アジアにおける相互補完の組み合わせができるのかどうか。このことが日本経済にとっても政策的、戦略的に考えていく分野だと思います。
もう一つ、サハリンのパイプラインの問題があります。日本のエネルギー安保も含め、これからの地球環境や残っているエネルギー資源のことなどを考えると、サハリンの問題にはもっと日本は関わらないといけないし、その関わり方は中国を含めたエネルギー安保の問題と同時に、平和という問題にどう組み立てていくかを考えていくべきだと思います。そのことが北東アジアの問題を具体的に発展させる大きなテーマになってくると思います。
[田淵] 北東アジア経済圏が最後のフロンティアだと、UNDPは描きました。1996年、私も図們江地域の琿春から国境を越えてザルビノ港の見学をしました。その時、新潟の佐野さんはすでにお亡くなりになられ、佐野さんの遺影を持って国境を越えた覚えがあります。
琿春とザルビノ港は国境の鉄条網を挟んですぐ近くなのですが、時差が3時間あります。ザルビノに着いて、すぐ帰らないと夕方になってしまいます。ザルビノ港は貧弱で、港自体は深く不凍港ですが、近代化するためには相当お金をかけないと駄目だという印象を持ちました。ロシアにはODAも使えません。大連はいい港ですが遼寧省優先で、中国の内モンゴルや吉林省の物産は、すぐ横のザルビノ港を使えば安く済みます。とにかく琿春から鉄道だけは引こうということで、随分長くかかりましたが、ようやく近年、開通したということです。しかしロシアはモスクワから西の方、ヨーロッパに目が向いているので、極東シベリアは取り残されている現状だと思います。その後、ザルビノ港に行っていませんが、大開発されていい港になっているという話は聞いていません。
[吉田] テンポが遅い現状に若干の苛立ちを持っていらっしゃるようです。なかなか進まないことは事実ですし、それがいまの現実をある程度反映しているのではないかと思っています。
図們江地域の開発プロジェクトはUNDPがバックアップしてきましたが、今年7月、諮問委員会、調整委員会を開いたときに、図們江地域に焦点を絞りすぎないで北東アジア開発という形で再展開を図ったらどうかという意見が出て、その方向で調整をすると聞いています。一方、琿春、羅津、ハサン地区の行政担当者が集まって、将来の交流を違った形で進めていこうという話も進めている現状です。
その7月の会議の時に、中国が東北振興について説明し、特に琿春では700億円ぐらいの資金を投入して発電所とダムを新設し、石炭の開発を行うことが紹介されたようです。そういう形でジワリジワリと辺境地域まで施策が普及しているのではないかと考えています。
最後に、追加の発言があるでしょうか。
[平山] ここ数年、経済が安定し、状況が変わってきました。リスクが多いという概念を捨てて、直に見ていただきたいと思います。日本ではシベリアランドブリッジも中断されたような状態ですが、韓国や中国はシベリアランドブリッジを活発に使って、ヨーロッパへかなりの量が動いています。銀行の信用機能とか決済の問題などもありますが、企業家の立場で改めて見ていただきたい。北東アジア経済が日本にとって何なのか、探っていただきたい。そこに、95年以来の官民の共同作業の必要性が改めてあるだろうと思います。
[田淵] 南東アジアの未来は非常に明るく、南東アジアの経済と北東アジアの経済をどう結びつけるか、これが日本の役割だと思います。「失われた10年」と言いますが、私は、日本が質的な転換を図った10年だと思っています。これから2~3年ぐらいしたら質的な転換が終わって、アジアを日本が引っ張る状況になると思います。日本がどう変わったか、銀行一つ見ても、昔の銀行の名前を言える人は会場の皆さんの中にもほとんどいないと思います。それだけ日本は大転換し、強くなったわけです。銀行は大きいものが一つあればいいのであって、ドイツ然り、イギリス然り、フランス然り、転換が済んだ後の日本経済は相当強く、強い日本がアジアを引っ張ると思っています。
[吉田] 非常に力強いお話です。日本経済に自信を持て、日本経済でアジアを引っ張れ、その中に北東アジアも含まれる、それがきょうの結論であると思います。どうもありがとうございました。