この公開講演会は、今回のセミナーで一般の方にも公開された唯一の機会であった。講師は、ノルウェーの男女平等の最前線で活躍されている、男女平等オンブッドのクリスティン・ミーレさんである。仲介してくださったノルウェー王国大使館のご尽力のおかげで、このセミナーのために、はるばるノルウェーから来てくださることになった。
そもそも男女平等先進国のノルウェーからゲストをお呼びしようと考えたのは、ほんの何十年か前には日本と同様に女性の多くは専業主婦であった国が、なぜ短期間に世界でも有数の男女平等国へとうまれかわったのかということをぜひうかがいたいということからだった。改革の当事者から具体的なプロセスや現在の状況をうかがうことで、わたしたちがこの問題に関わっていく上で新たなエネルギーを得ることができるのではないかと考えたのだった。
当日は平日の夜にも関わらず、若者から年配の方まで約80名の聴衆が集まってくださった。ミーレさんに90分の講演をお願いし、その後30分の質疑応答の時間を設けた。質問は引きも切らず、積み残しになった質問は翌日の懇談会にもちこされることになった。
平成12年11月24日(金) 午後7-9時
万代市民会館6Fホールにて
【講師略歴】
まず最初にご列席の皆様、「新潟青年男女の共同参画を考える会」にお招きいただき、感謝いたします。日本に来るのはこれで3回目ですが、今年だけで2回来日しております。このすばらしい国に来る機会を作っていただき大変うれしく思っています。
日本は、私たちノルウェー人にとって大変関心のある国です。安全な日常生活、さまざまな福祉制度、高い生活水準を維持していくことは両国の共通点です。国民の寿命がその証になりますが、世界で一番長生きしているのは日本人です。
すばらしい変化に富んだ四季を持っていることも両国の共通点です。しかし、大きな違いもあります。ノルウェーの全人口は430万人であり、東京の3分の1から4分の1だと思います。それに対して、日本の人口は1億2600万人です。社会福祉を作り上げるのは大変困難だったと思います。
両国の間には、福祉政策や男女平等政策において大変活発な交流があります。オスロにある男女平等オンブッド事務所には沢山の日本人グループが訪れて、ノルウェーの男女平等政策について尋ねていきます。ノルウェーは、20世紀後半に大きな社会的変貌がありましたが、特にそれについて質問されます。
ノルウェーは、男女平等社会として広く知られています。つまり、男女がともに家庭、政治、仕事を分け合う社会です。
ノルウェーでここ数十年間でどのように男女平等社会に近づいたかをお話したいと思います。男女平等ということは、男女が同等の可能性と権利を持ち、性別的要素からではなく個人として扱われ、労働や社会生活を分け合って生きていくことです。
ノルウェーを含めてどの国でも男女平等は達成されていません。ノルウェーは比較的先進国ではありますが、その道程は決して平坦なものではありませんでした。前進した背景にはいくつかの要素が挙げられます。
20世紀初めには、ノルウェーの女性の可能性や権利はほとんどありませんでした。政治の世界にはまったく参加していませんでした。1913年に女性が参政権を獲得し、女性議員が初めて当選したのは1920年代でした。
女性の労働条件はその家の社会的階級、経済条件によりました。結婚をしていた女性は、どの社会的階級でも家庭外労働をしませんでした。ゆっくりと家で休んで、自分の夫と家庭を守るのが役目でした。
女性の最も重要な役目は、出産・育児、そして家庭と主人の面倒を見ることでした。現在のように家事を楽にしている機械が無かったので重労働でした。男性は経済的責任を果たすのが最も自然でほかのことをするのは不自然でした。
しかし、その反面子供の教育はその家の主人が決めることが普通で、最終決定権を持ちたがったのです。家族の男の子たちだけが教育を受けることが自然で、女の子は小学校の教育しか受けられなかったのです。したがって、学問の世界でもほとんど女性はいませんでした。
家庭の経済力は男性の収入に左右され、家計も通常男性が決めていました。難しい家庭環境から逃げていった女性は、大変な社会的・経済的苦難を味わうことになりました。したがって、離婚率は大変低く、厳しい抑圧に耐えていた女性は少なくありませんでした。
ノルウェーは、第二次世界大戦後、国の復興をかけた大事業に取り組みました。社会福祉国家の理念は50年代、60年代に生まれた概念なのです。福祉国家達成のためには「全員に仕事を」ということが大きな目標でしたが、全員は男性全員という意味でした。
妻と子供二人を養えることが一種の目標になり、女性は専業主婦として家庭にいることが一つのステイタスになりました。家庭外労働をしていた女性は20パーセント以下でした。既婚者ではもっと少なく、欧州ではノルウェーは「専業主婦王国」とも言えました。
福祉国家の誕生と経済的余裕が教育水準にも影響を与えました。多くの家族が子供たちに小学校以上の教育を与えることができました。しかし、教育は男の子に優先的に与えられました。なぜならば、女の子たちはいずれ結婚し、専業主婦になるという考えが根強かったからです。しかし、女性も徐々に高い教育を受けるようになりました。
60年代後半から70年代初めに欧州で大きな社会変動が起こりました。学生運動や、政治活動が活発な時代でした。そして、女性解放や女性の権利が多くの国で取り上げられるようになりました。国連やEUでは男女平等政策や女性の状況が注目されました。
ノルウェーでも男女平等政策は議論され、20世紀初めから活躍していた女性団体や男女平等促進運動は注目を浴び、急速に発展していきました。新しい組織も成立され、政党内では女性・婦人事務局が設立されました。
これらのグループは政党内外のオピニオンリーダーになり、積極的に発言しました。女性の権利に積極的に働きかけ、ジェンダーによる差別も違法であると主張しました。
1972年には男女平等審議会が設けられました。現在は男女平等センターに変わりました。女性の立場を強化すること、または男女平等促進活動をしています。1973年には男女平等法提案を審議するため、法的委員会が設けられました。
男女平等法案は1975年に国会に提出されました。今日の男女平等法とほぼ同じものであります。男女平等法を重要視することは各政党とも一致していましたが、男女平等法まで作るかは意見が割れました。
この法律は女性差別を禁止するものにするか、ジェンダー中立的な内容にするか意見が割れました。第一段階では、法律は可決されませんでしたが、閣僚会議で更に検討することになりました。
3年後の1978年に国会で男女平等法が可決されました。そして、1979年の男女平等法施行とともに男女平等オンブッドが誕生しました。法律の監視役であり、男女平等を促進する役目をもっています。
ノルウェーでは男女平等の確立とオンブッドの誕生に女性団体が大きく影響を与えたことを否定できません。また、法律改正に関しても女性団体が大きな役割を果たしました。
私の管轄である男女平等法はノルウェーの社会を大きく変えました。しかし、この法律だけが変化を起こしたのではありません。法律と同時に男女の生活が見直されました。形の上で法律を改正する必要性だけでなく、性的役割分業を変えていくことが重要視されていました。
雇用に対して男女が平等に扱われること、雇用条件や賃金がこの男女平等法で保障されるようになりました。新しい法案が提出されるときには男女平等の理念が反映されているかどうか、男女平等オンブッドがチェックしました。
男女平等法の適用は広範囲に渡り、男女平等オンブッドの権限はほとんど無制限に近い形まで広がっています。
男女平等オンブッドの機能は大きく分けると二つあります。第一に男女平等法が守られているか否かの監視役です。差別を受けていると思う人がいれば、男女平等オンブッドに苦情を言うことができます。
個人としてオンブッドに苦情を言えるというのはとても重要です。オンブッドは苦情に対して非常に素早く無料で対応します。つまり、差別的行動があったかどうかをオンブッドは判断します。
例えば例を挙げますと、家庭外で働く妊婦からたびたび私の所に苦情がよせられます。例えば、申し込んでいた仕事を与えられなかったり、昇給されなかったり、育児休暇のあと素早く仕事に戻れなかったりというのが苦情の例です。妊娠している女性は男女平等法あるいは労働環境法によって守られています。
それでも、ジェンダーつまり性別による差別を訴えることがたびたびあります。そのような事態が起こったときに相談できる窓口つまりオンブッドがあることはとても重要だと思います。
一方、社会全体に男女平等を推進するという仕事があります。オンブッドとして、常に男女平等に関して社会的にディベートが行なわれている場、例えばテレビなどのマスメディアに顔を出して意見を述べたりします。
男女平等法が広く知られるようにすることもオンブッドの仕事です。オンブッドが設立されてから20年が立ちますが、まだ多くの差別、特に雇用関係の差別があります。
オンブッドは私で3人目なのですが、常に我々の存在が知られるように、社会的に論議が行なわれている場に参加するようにしてきました。そして新しい法案が出されたとき、男女平等の理念が十分に考慮されているかどうか調べることも私どもの仕事の一つです。
今日のノルウェーの女性は50年前と大きく違った状況にあります。現在は70パーセントの女性が家庭外で仕事をしています。以前と比べると経済的に独立しているとも言えます。そして、大変興味深いことに、子供が小さいうちから働く女性が多いのです。
ノルウェーの女性は以前より経済的・社会的に独立していて、男女を問わず同じ相続権を持っています。結婚していれば互いに養う義務を持っていて、個人的に年金制度や社会保障に入っています。つまり、個人として入っています。既婚者でも自分の名前で独自に契約を結ぶことができます。
女性はあらゆる分野で仕事をしていますが、その比率は職種ごとに大きく違っていることも事実です。雇用市場は性別的にはまだはっきりしています。
女性が携わっている雇用はまだ古典的で、公務員、介護、教職、民間では小売業に多くついています。
また、働いている女性の半数が短時間労働の契約を結んでいます。理由はまだ女性が子供と家庭を守る場合が多いからです。家庭と仕事の両立は二重の働き手である女性の家庭外の仕事を減らすことによって成り立っているということがノルウェーでもいえます。
多くの女性が働いている背景には、1960年代に導入された多くの社会保障制度があります。 1964年に新しい法律が可決されました。この法律は、結婚しても女性はそれまでの名前を使い続けると言うものです。この法律を幅広く利用し始めたのはつい最近です。今日では男女別姓は非常に多くなり、1980年からは子供たちにも母親の名前をつけることができるようになりました。
例えば私の家庭、非常に一般的だと思うのですけれど、子供たちの名前には、私の名前と夫の名前がついています。
1966年には現在の福祉制度が導入されました。個人的に年金を受け取る権利が与えられました。この中には、未婚の母親への経済的援助も含まれています。
1970年代以来、出産と育児に関する充実した制度ができています。1977年の労働環境法では、出産の際には育児休業を認めています。全ての雇用者が、どんな職種であっても、1年間有給で休みを取ることができます。その給料は国民社会保険から出ます。
この育児休業制度は徐々に変わっていきました。1977年には、18週間の育児休暇が取れ、1993年には80パーセントの有給で1年間、あるいは100パーセントの有給で9ヶ月間の育児休暇を取れるようになりました。
また、もう少しこの育児休業の説明をしますと、産前には3週間、産後には6週間の休業を取ることが義務づけられています。父親が取れる休業は4週間保障されています。もし、父親が利用しなかったら、その4週間は消える仕組みになっています。また、その上に両親が43週間を分け合う、どちらが取ってもいいという仕組みになっています。
このいわゆる「パパ・クオータ制度」と言うのは比較的新しいもので、1993年に導入されました。最近はほとんどの新米パパがこれを利用するようになり、80パーセント以上のお父さんがこれを利用しています。民間企業の取締役や政治家のトップもこういった制度を利用しています。数年前に新米パパになった大蔵大臣も、しっかりこの制度を利用し、4週間の育児休暇を取って、生まれたばかりのわが子の面倒を見ました。
さきほども言いましたように、親の間で自由にこの育児休業を分けることができますが、やはり、母親が長く取るのはノルウェーも同じです。
もう一つの制度を紹介しますと、子供が病気になった場合、親は困るのですけれど、その場合には子供が12歳以下の場合には、いずれかの両親が10日間有給で休みをとることができます。もし、一人で子供を育てるような場合であったら、20日間有給で休みをとることができます。
育児休業制度と子供が病気になった場合の休業制度を導入するとき、雇用者からは非常に厳しい、強い反対がありました。しかし、今になって比較的速やかに受け入れる会社が増えています。その背景に、その負担は会社が負うのではなく国の予算からおりるということがあります。
仕事と政治活動、育児や介護を同時にできる環境が整っていけば、より多くの女性が政治に関わっていけます。ノルウェーの閣僚には多くの女性がいますし、平均年齢は43歳です。多くの閣僚、大臣の多くはまだ小さなこどもを抱えていて、政治活動と育児をなんとか両立しています。
数年前には2人の女性大臣が大臣の役職についた後、出産をし、育児休業の権利を使用しました。それに対して、不満や苦情をいう人はいませんでした。しかし、20年前、30年前にはそれは考えられないことでした。
仕事と子育てを両立できるようになったことには、育児休業が長くなったことがあると言えます。ですから、ノルウェーの出産率は近年上がっていく傾向にあります。ノルウェーの出産率は現在1.9であり、先進諸国でも人口から見れば非常に多いほうです。
日本の出産率は1.38だと聞いていますが、日本の女性は仕事か育児かを選択しなくてはいけないと言うことを意味していると思います。出産をなるべく後へ、後々へと考えているからかもしれません。
ノルウェーで仕事と育児を両立できると言うことのもう一つの理由は、一日の労働時間です。通常の労働時間では、8時に出勤し、大体3時半か4時に帰ります。また、柔軟な労働時間、いわゆるフレックスタイムも幅広く使用されています。両親がきちんと仕事を終えてから子供の世話をすることが可能になっています。
保育園、あるいはキンダーガーデンも増えてきましたので仕事がしやすくなっています。保育園は公営と民間のものがありまして、開いている時間は労働時間に合わせています。 10歳以下の子供たちの学校にいる時間は比較的短く、勉強する時間も短いのですが、放課後学校で遊ぶ制度があります。誰か大人が見ている中で色々遊ぶ、アクティビティーをする制度です。こどもが保育園から学校に移ったとき、大きな問題にならず、働く親も子供を抱えながら仕事をすることができます。
ノルウェーが世界的に男女平等の国として知られていることは、政界の女性進出が高いからです。これは特に閣僚レベルで言えると思います。19人の大臣のうち8人が女性であり、42パーセントです。国会議席数165のうち女性議員は59名であり、36パーセントです。地方議会での比率は、県議会で42パーセント、市議会で34パーセントです。
選挙のクォータ制は法律で決まっているわけではありません。これは大変大事なポイントです。政界の女性進出は、男女平等法以外の理由があります。それは政党内の努力、女性活動団体の女性運動キャンペーン、つまり、女性を選びましょうというキャンペーンであります。
大きな政党は自主的なクオータ制を導入していて、候補者の大体40パーセントが女性でなければいけないことにしてあります。1986年以来、暗黙の了解で大臣の約40パーセントが女性でなくてはいけないことになっています。
これらの規定は大変大きな効果をもたらしました。男女平等社会が前進したことは確かですし、ほかの国が憧れるようにもなりました。が、まだまだ取り残されている課題もあります。
まだまだ、家庭と育児は女性の管轄になっています。男性も少しは変わってきましたが女性ほどではありません。男性は日常的に子供と関わるようになりましたが、男性の一番の管轄は職場で、家庭と仕事の両立を難しく思っている男性もいます。
これは、伝統的な考え方と凝り固まった考え方によるものです。現実とかけ離れたことだと私は思っています。
ノルウェーの男女平等の促進のためには、男性の役割に注目しなくてはいけないと思っています。私の男女平等オンブッドのオフィスに男性からの苦情が届いています。男性からの悩みも受け取っていることになります。
たとえば、離婚した後の問題で、男性から離婚後も自分の子供ともっと接したいと言うことがあって、それが平等になっていないと言うような悩みです。自分は母親と同じように良い父親になれないという悩みも聞いています。
また、男女間に賃金の差があります。男女平等オンブッドは、長年に渡って労働に対して同一価値を主張してきましたし、もっともっと注目しなくてはいけない分野です。もちろん賃金の差は職種の違いからとも言えます。女性の伝統的な職業、介護・教育などは男性よりも低賃金の仕事です。
女性は、フルタイムではなく、短時間労働が多いことも低賃金の理由です。同一の職業で同じ教育を受けているのに、時に男女で違う賃金になることがあります。この場合は、いつも女性が低賃金になります。
同一価値・賃金は、男女平等法にも、国際条約にも記されています。オンブッドが賃金差の苦情をたびたび受け対応することで、女性の賃金が上がります。
ノルウェーでは、男女平等政策は高年齢・中年の女性の仕事だと考えられています。若い男女、特に若い女性は男女平等は非常に古めかしいことだと思っています。もうとっくに平等社会になっていて、考える必要がないと若い人たちは思っています。したがって、男女平等社会を目標にしている私たちのチャレンジ・仕事は、若い人たちに情報を提供することだと思っています。
教育面でも、今までのように伝統的な職場に男女が分かれるのではなく、自由に選ぶことが大切だと思っています。私たちのセンターでは、長年さまざまなモチベーションを作って、違う職種についてもいいというような情報を流していますが、なかなか変わらず、良い結果は出ていません。
そして、仮に変わった選択をした女性がいても、そこが男性中心の職場であったなら、非常に苦労し、難しい立場におかれることがたびたびあります。 センターでは、電子メールなどのコンピューターを使って出来るだけ若い世代に情報を送っています。
このことは、非常に重要だと思っています。なぜなら、まだ伝統的に隠れ、潜んでいる性差別的な考えが残っているので、それを若い世代に認識してほしいからです。
ノルウェーでは、決定権のある機関では女性はまだ少数です。女性は人口の半分を占めていますし、かなり高い教育を受けていますし、家庭外で仕事をしています。しかし、まだ決定の場には女性は少ないのです。女性政治家は多くても、まだ男性が多数を占めています。議会では64パーセント、内閣では58パーセントが男性です。1人だけ女性首相がいましたが、2000年現在は女性党首は1人だけです。
雇用においては、もっとひどい格差があります。男性と同じように家庭外で仕事をしても、仕事内容は男女でひどく差があります。民間も公的なところでもトップレベルはほとんど男性が占めています。女性管理職の割合は、まだまだ低いです。女性管理職の割合は民間企業で5〜6パーセント、公的機関で20〜25パーセントです。
女性がトップのポジションにいないのは、教育や職歴によると思われますが、しかし近年は女性の教育水準は非常に高くなっていて、今現在、大学では女性のほうが多いという事実もあります。また、女性の職歴も長くなっているし、資格がないからトップにいないと言うわけでもありません。まだ職場で女性の能力が疑われているというのが本当の理由だと思います。また、職場で女性が男性のようには尊敬されないというのがトップにたどりつけない理由の一つです。
また、男女平等オンブッドに提出されるさまざまな苦情の中には、職場の決定で女性差別が行なわれている場合が多くあります。さまざまな組織も男性中心で、例えばノルウェーで一番大きな労働組合も男性中心で組織されています。
重要決定権のある立場に女性を増やすことは、民主主義を強化することになり、今後の重要な課題です。
ノルウェーの女性もほかの国の女性と同じように性的嫌がらせ、必要ない性的注目を経験しています。
女性への暴力は国際的問題であり、ノルウェーでも同じです、家庭内での暴力はありますし、女性のための逃げ場、いわゆるクライシスセンターの要望は非常に多いです。
こういった暗い側面も否定できませんが、ノルウェーの男女平等政策はかなり前進してきていると思います。この変化には、男女共に貢献してきました。
女性はもっと平等に扱われ、自分の人生を決めることができるようになりました。経済的に独立し、生活水準も変わりました。男性は、より多くの時間を子供と過ごすことができ、一緒にいる時間が増えました。そして、それぞれ自分の興味・関心にしたがって行動するようになり、伝統的な性的役割をつき破ることができました。
去年で男女平等法は20歳になりました。そして、この男女平等法は中身としてほとんど変わっていません。しかし、社会全体は大きく変わりました。男女平等法が長年変わっていないと言うことは、可決された当時の政治家に長い目で先を読む力があったからだと思います。しかし、社会が変わってきたにもかかわらず男女差別はまだあります。したがって今日でも男女平等法は必要です。
1999年の秋に当時の政権が男女平等法の改正案を出しました。さらに近代化し、義務化し、効率の良い法律にするのが狙いでした。私自身は、この改正案に大きな期待を寄せています。改正案は、来春国会で審議されることになっています。
男女平等を常に追求しつづけ、この改正案が可決されれば、ノルウェーは更に男女平等が進展すると私は思っています。
E-mail: iori@……
Anschrift ; Iori Ishikawa,
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471 EBIGASE NIIGATA-City,
950-8680 JAPAN
新潟県立大学国際地域学部国際地域学科・石川研究室
950-8680新潟市海老ケ瀬471番地
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最終更新日:2013/07/24