【1.】柳父章『「ゴッド」は神か上帝か』(岩波現代文庫(2001)。『ゴッドと上帝――歴史のなかの翻訳者』(筑摩書房(1986))の再刊):主題は、<翻訳と侵略>:文献1、文献2も参照。
【1.1.】植民地侵略における翻訳
【1.1.1.】植民地侵略の原理
【1.1.1.1.】商人→宣教師→軍隊:侵略の通例。最初に軍隊が出て行ったコルテスやピサロによるアステカ、インカ侵略とは異なる。
【1.1.1.2.】宣教先の言葉の習得、文化の研究/日本による韓国での日本語・神道の強制とは状況を異にする。
【1.1.1.3.】モノの等価交換・コトバの等価交換・valueのequalな交換が問題。(←石川:しかし、valueには使用価値と交換価値がある(マルクス!!)。商人や宣教師はどちらの価値の等価交換を求めていたのか?)
【1.1.2.】キリスト教宣教師の使命
【1.1.2.1.】1540年イエズス会成立、1549年ザビエル来日、1598年マテオ・リッチによる中国布教の始め。ポルトガルの衰退とフランスの進出。1795年ロンドン宣教師会、1807ロバート・モリソン(Robert Morrison 1782-1834)来華。1834年ネーピア(W. J. Load Napier)貿易監督官着任、朝貢貿易を排して一挙に自由貿易化(貿易におけるequalityの実現)を図る。
【1.1.2.2.】モリソンの業績:『英華字典』(A Dictionary of the Chinese Language, 3 vols, 1815-23)、『神天聖書』(新約1819年、新約部分の翻訳は『新遺詔書』)。
【1.1.3.】植民地帝国イギリスの宣教師
【1.1.3.1.】letter=書/petition=稟(英から清の官庁へ)と order=諭(清の官庁から英へ):対等平等ではない。『随書』:「其國書曰「日出處天子致書日没處天子無恙無云々」帝覧之不悦謂鴻臚卿曰蠻夷有無禮者勿復以聞」。厩戸皇子の書面には「書」とある。煬帝はこれを見て怒っている。
【1.1.3.2.】Robert Morrisonは、1834年7月15日に着任したネーピアに、翌日、書記兼翻訳官に就任するよう求められる。受諾。7月24日、ネーピア、モリソンを伴って広州に強硬上陸。
【1.1.4.】モリソン、7月28日衰弱、31日小康、8月1日死去。
【1.1.5.】アヘン戦争とモリソン父子:息子John Morrison(1814-1843)
【1.1.5.1.】1834年9月5日、ネーピア、広州を砲撃。イギリスによる中国武力攻撃の始め。ネーピア、マラリアを発病してこの年の秋にも死去。アヘン問題。
【1.1.5.2.】1838年、林則徐、欽差大臣(臨時特命大臣)就任。1839年広州着任。アヘン持ち込みを厳罰に。ネーピアの後任の貿易監督官(Charles Elliot)はこれを拒絶、林則徐は広州のイギリス商館を武力封鎖。1839年6月、林則徐は没収したアヘンを廃棄処分。イギリスは損害賠償を求める。武力衝突。
【1.1.5.3.】1840年4月、イギリス議会、271対262で中国出兵を承認。→アヘン戦争。勝敗は明らかであったが、英軍はパーマストン外相の清国政府宛て書簡の受け取りを求める(「書」!!)。清国政府は受け取り拒否。英軍さらに北進。危機を察した清国政府は書簡を受理。
【1.1.5.4.】清国政府は交渉を長引かせよとする。1841年1月、戦闘再開。1842年7月、南京攻略を前に清国政府降伏。8月、英艦隊旗艦コーンウォリス号上で南京条約調印。
【1.1.5.5.】和平交渉はジョンがリードする。南京条約はジョンの起草による。
【1.1.5.6.】茲因大清大皇帝大英君主(南京条約冒頭中文):Her Majesty the Queen of the United Kingdom of Great Britain and Irrland, and His Majesty the Emperor of China,(南京条約英文冒頭)
【1.2.】宣教師の翻訳思想
【1.2.1.】異言語間の平等
【1.2.1.1.】モリソン『英華字典』の思想:「……ここで提供できるのは、しかるべき文句を取り出す手がかりとなるようなことばの意味……」
【1.2.1.2.】メドハースト(Walter Henry Medhurst,1796-1857) 『英華字典』(Chinese and English Dctionary, 2 vols., 1847-1848)の思想:「……もちろんここに使われている表現の大部分は、著者が原語を誤解してさえいなければ、まったく正しい中国語である……」
【1.2.1.3.】モリソン『英華字典』God=神、神鬼、神祇、上帝……
【1.2.1.4.】メドハースト『英華字典』God=上帝、天帝、皇皇上帝、天主、主、真主、神、神天、神主……
【1.2.1.5.】マテオ・リッチ(イエズス会)=天主、モリソン=神、メドハースト=上帝。参考:現在の中文聖書(Chinese New Version)「ヨハネによる福音書」第一章第一節「太初有道,道與 神同在,道就是 神」。モリソンはもちろんequalityを求めているが、そんなに簡単に求められるとは考えていない。メドハーストは当然equalityは達成できると考えている。
【1.2.2.】「ゴッド」は神か
【1.2.2.1.】モリソンはcontextを重視する。辞書では英語と中国語の間のequalityは求められないからcontextが重要になる。メドハーストはtextのレベルにequalityを求める。
【1.2.2.2.】1840年代から50年代:モリソン訳の聖書の改訳が試みられ、Godの訳語をめぐって論争が起こる。Term question。これはcontextかtextかの論争でもある。
【1.2.2.3.】1843年、英・米の宣教師が香港に集まり、改訳をめぐって会議。1848年に改訳案を持ち寄って上海に集まる。「聖書翻訳は原典による建前であるから、新約ではギリシャ語のTheos、旧約ではヘブライ語のElohimであるが、じっさいには英語訳は正しい翻訳として参考にされるからGodも原語である」(柳父 文献(0)、p.120)。←英語は「正しい翻訳」か? 百歩譲って、正しい翻訳なら、「翻訳」であっても「原語」と言えるのか?
【1.2.2.4.】委員長メドハーストは「上帝」を主張、ミルンらがこれに同調。ブリッジマンは「神」を主張。会議は紛糾。結局、GodとSpiritの所を空白にしたままの草稿をまとめて、1950年、会議は終了。両派はそれぞれが別の中国語訳聖書を出版。
【1.2.2.5.】ペリー提督の首席翻訳官であったのがブリッジマンの友人の宣教師ウィリアムズ。彼が持ち込んだのがブリッジマン=カルバートソン訳の漢訳聖書(新約1861年、旧約1863年)。以後、日本ではGodは「神」と訳されることになる。
【1.2.2.6.】訳語問題はしかし、日本では大きな問題にならなかった。問題にならなかったこと自体が大問題だ。∵Godの訳語としての「神」と日本古来の「神」と中国語の「神」はどれもみな意味が違うのに、それが問題にされないまま受け入れられた。
【1.2.2.7.】津田左右吉の思想:Godの訳語としての「神」を取り入れることで、それ以前の「神」の意味を切り捨ててしまった。→このことは天皇の神格化の問題ともかかわってくる。明治政府は天皇を神として敬う国家神道を成立させるが、天皇が神だとしても、いかなる「神」なのか?
【1.2.2.8.】モリソン・メドハースト・ブリッジマン、それぞれの見解:モリソンも「神」が唯一の正解だとは考えていない。そもそもモリソン訳の聖書のタイトルからして『神天聖書』である。「神天」はすでにモリソンが彼の辞書の中でGodの訳語として列挙した中に入っている。
【1.2.3.】聖書の翻訳可能性
【1.2.3.1.】ナイダ(E. A. Nida)の翻訳理論:文脈重視
【1.2.3.1.1.】原文の文脈:C1/翻訳文の文脈:C2、原語:M1/翻訳語M2 とするとき、 翻訳とは、C1:M1=C2:M2 であるようなM2を求めること。
【1.2.3.1.2.】メドハーストにとっては、翻訳とはM1=M2であるようなM2を求めることであるが、これはC1=C2の場合にしかありえない。しかし、翻訳が必要となるのはC1≠C2の場合である。したがって、M1=M2はありえない……ということになる。
【1.2.3.1.3.】モリソン/ナイダにとっては、求める等しさはM1、M2にあるのではなく、比の値である。すなわち、C1:M1とC2:M2がともに等しくなるようなM2を求めること。比例式を展開すると、M2=M1×C2/C1となる。
【1.2.3.1.4.】しかし、C1とC2の比の値、あるいは一般的な変換式は、あらかじめ存在しているわけではない。往々にして翻訳者のカンに頼ることになる。
【1.2.3.2.】モリソンにおける英語の優位:モリソンには、英語・西洋語から非ヨーロッパ語への翻訳は完全に可能である、という前提がある。しかし、その逆は、モリソンにはきわめて難しいと感じられた。
【1.2.4.】一原理主義と二原理主義:mono-textual / bi-textual:モリソンによる中国古典の翻訳
【1.2.5.】中国語訳聖書と日本語訳聖書:文語訳聖書は、ブリッジマンの漢訳聖書を手本に、それを読み下したもの。しかも、文体がある。
【1.2.6.】正確な訳と分りやすい訳:モリソンは聖書を翻訳するに際して古典語の文体を避けている。
【1.2.7.】原文忠実か文体重視か:にもかかわらず、入信した中国人の弟子・梁阿発からは分かりにくいと批判された。モリソンの中にはmono-textualな方向とbi-textualな方向とが同居している。
【1.3.】翻訳思想のゆくえ
【1.3.1.】翻訳からつくられた「蛇魔」:モリソンの弟子・梁阿発『観世良言』に出てくる「蛇魔」=イブを誘惑した蛇。これは、モリソン訳の聖書ではただ「蛇」とだけ記されている。
【1.3.1.1.】モリソン聖書の「神主:「神」が「神爺火華(「神エホバ」と読む・洪秀全はのちにこれを神爺+火華と読んでいる)」/梁阿発の追加:邪神変為蛇魔
【1.3.1.2.】モリソンの「蛇」と梁阿発の「蛇魔」の違い:梁阿発の「蛇魔」は邪神の変じたものであり、邪神は神と対等
【1.3.1.3.】キリスト教的には、蛇は堕落のきっかけの一つであって、イブの自由意思も働いていた。したがって、罪は人間の内部から働く。しかし、梁阿発はもっぱら蛇魔が堕落の原因であると説く。伝統的に性善説に立つ中国思想と、人間の内的な罪とは、両立しがたい。
【1.3.1.4.】律法は人間と神との契約。しかし、儒教思想をベースに考えれば、契約に人間が主体的にかかわっているという観点もまた理解困難。
【1.3.1.5.】梁阿発の信仰は正しいか? 梁阿発の動機には、現世利益重視の仏教に対する批判がある。加えて偶像崇拝の否定。自らの罪の原因を自らの内部に求めるとともに、外部にも強く求める。それが「蛇魔」として現れる。→蛇魔はキリスト教にとって異端的。
【1.3.1.6.】モリソンは弟子の異端的な考えをも時間をかけて説くことで正道に戻せると考えていた。しかし、生み出された言葉と書かれた書物はいずれは一人歩きする。
【1.3.2.】洪秀全における「蛇魔」:洪秀全『原道覚世訓』:若くしてキリスト教の伝道に接する。梁阿発の『観世良言』を読む。
【1.3.2.1.】『原道覚世訓』にも「蛇魔」が登場する。梁阿発の偶像崇拝批判→洪秀全の偶像破壊運動→太平天国の乱:「蛇魔閻羅妖」を敬拝する「韃靼妖胡=清朝」の打倒
【1.3.2.2.】太平天国の蜂起まで
【1.3.2.2.1.】1836年、二度目の科挙受験のため広州へ。そこで西洋人宣教師と中国人助手の演説を聴き、梁阿発の『観世良言』を受け取る。
【1.3.2.2.2.】1837年、三度目の科挙に落第。一時重病を得て失神。その間に夢を見る。
【1.3.2.2.3.】1843年、しまっておいた『観世良言』を取り出して読むに、6年前に見た夢と全く同じであった。金髪の老人は上帝で、中年の兄はイエス、自分は上帝の子にしてイエスの弟。自分の使命は『観世良言』の中に書かれている!
【1.3.2.2.4.】→拝上帝会を組織して宣教を開始:偶像を破壊して上帝を拝め!
【1.3.2.2.5.】1847年3月、広州でアメリカ人宣教師ロバーツ(J. Roberts)に洗礼を求めるが拒まれる。
【1.3.2.2.6.】同年8月、広西省の拝上帝会の中心となり、大規模な偶像破壊運動を開始。
【1.3.2.2.7.】1851年1月、広西省金田にて同志1万人とともに挙兵。
【1.3.2.3.】太平天国(上帝教)の思想
【1.3.2.3.1.】上帝を崇め、上帝の反対者と戦うこと。God VS. devil / satan:サタンこそが罪の究極の根拠。人間の自由意思は罪の根拠ではない。←『観世良言』!!
【1.3.2.3.2.】devil / satanは清朝である。→偶像破壊
【1.3.2.3.3.】皇上帝の子女としての同胞平等:太平天国の平等主義
【1.3.2.3.4.】対清朝の運動である限りで、打倒清朝を目指す漢人軍閥等とも利害は一致している。しかし、偶像破壊と平等主義は儒教道徳の否定である。伝統的な中国知識人との分裂が始まる。
【1.3.3.】太平天国における「上帝」
【1.3.3.1.】モリソンの「神」・梁阿発の「神天上帝」・洪秀全の「上帝」。
【1.3.3.2.】洪秀全は中国語の文脈で「上帝」を理解し、それを君主のみが崇拝するものという位置づけから引きずりおろす。
【1.3.3.3.】ここにおいて「上帝」はキリスト教の文脈から完全に逸脱している。太平天国のよりどころである「上帝」は誤解である、とする曽国藩ら軍閥の攻撃によって、太平天国は崩壊する。
【1.3.4.】翻訳語は独走する
【1.3.4.1.】記号の消費としての、モノの「カセット効果」。意味の消費としての、コトバの「カセット効果」
【1.3.4.*】石川注:マルクス『資本論』の価値形態論に従えば、等価交換されているのは交換価値に過ぎない。交換価値が全面展開すれば、使用価値は無くても商品として流通しうることになる。健康食品・サプリメントのTV通販CMを見よ。「効能はあくまで個人の感想です」。これは使用価値は幻想であるということを暴露している。使用価値のある商品が市場の中核を占める商品である段階から、使用価値の如何に関わらず欲望を喚起しうる交換価値しか持たない商品が中枢を占める段階に進むことを、「市場の成熟」という。成熟した市場では、使用価値は消費者の欲望を喚起しない。高枝切りバサミ(使用価値のある商品)を主力商品とする通販会社の倒産と、サプリメント・健康食品(交換価値しかないかもしれない商品・欲望だけは喚起しうる商品)を扱う通販会社の隆盛。欲望の際限なき再生産。
【1.3.4.**】さらにダメ押しの石川註:「カセット」とは、宝石箱のことである。宝石箱は中身の宝石がなくとも箱だけで価値を生ずるくらいに豪華でなくてはならない。〈箱がおしゃれだから、中身もおしゃれだろう〉=かっこいいコトバだから、きっとすごい意味があるのだろう→〈中身がなくても箱だけでもおしゃれだ〉=中身はともかく、箱がお・し・ゃ・れ♥→〈別の宝石を入れてもカワユイかな?〉=意味の変容、概念の変質。または「おフランスでは当たり前にあるけど、日本にもってくると絶対ハイカラ」=本来の文脈とは別の文脈の中に置かれると、予想外の価値をもつ
【2.】『聖書』翻訳の諸問題
【2.1.】翻訳の底本の問題(BibleWorks v.8添付のデータソースに関するドキュメント等に基づく)
【2.1.1.】旧約:何を原典とするか?
【2.1.1.1.】旧約は、カトリックではセプトゥアギンタ(=Septuaginta:七十人訳・ギリシア語)を底本とする。これをラテン語に訳したものがVulgataの旧約部分をなす。
【2.1.1.2.】プロテスタントでは、ルター以来、ユダヤ教で伝承されてきたヘブライ語聖書であるマソラ本文(Masoretic Text)に基づく。特に旧約部分で、カトリックとプロテスタントの聖書には相違がある。ルター1544年版には、各書にルターによる前書きと注釈があり、教皇の絶対権とローマ教会の優位を説いているとみられるテキストを聖典から外した旨が示されている。
【2.1.2.】新約:何を原典とするか?
【2.1.2.1.】新約は、397年のカルタゴ公会議で聖典が確定した。これをラテン語に訳したものがカトリックのVulgataの新約部分となる。
【2.1.2.2.】プロテスタントでは、エラスムスらの研究に基づくテクストゥス・レセプトゥス(Textus Receptus, 1516)に基づく。このテキストがもとにしたのはビザンツ帝国に伝わる東方教会のテキスト。ただし、黙示録だけは原文が見当たらなかったため、エラスムスがVulgataからギリシア語訳した。ルターの翻訳もこれによる。
【2.1.2.2.1.】Textus Receptusは、後のテキストクリティークによって問題点が明らかとなる。現在もっとも権威のあるギリシア語新約聖書はEberhard Nestle(1851-1913)とKurt Aland(1915-1994)の校訂によるNestle-Aland版(1913)で、現在の最新版は28版(NA28)。正式名称はNovum Testamentum Graece(NTG)。
【2.1.3.】結論:問題の19世紀においては、プロテスタントがMasoretic TextとTextus Receptusに基づくヘブライ語・ギリシア語からの訳を推進していたのに対して、カトリックはVulgataを墨守していた。
【2.2.】カトリックによる中国語訳(漢訳):柳父前掲書では、初の中国語訳刊本(正確には漢訳)はモリソンの訳とするが、それ以前にも、カトリックの宣教師ジャン・バセ(Jean Basset、パリ外国宣教会)による四福音書と使徒行伝からヘブル書第一章までの翻訳が行われ、1737年に『四史攸編』として執筆された(参照:塩谷正純「近代の中国語訳聖書の系譜に関する覚書き――バセの『四史攸編』を中心に――」、愛知大学『言語と文化』No.24 (2011))。モリソンがこれと思しき手稿をイギリス在住時に参照したらしいとの記述は、柳父前掲書にもある。
【2.2.1バセの訳の底本はVulgata。
【2.2.2.】バセ訳とモリソン訳の関係は? 塩谷は、モリソンはバセ訳を参照しているとする。柳父もこれを認めている。しかし、モリソンの底本はKing James(=欽定訳)。ここに問題はないのか?
【2.3.】マテオ・リッチ(Matteo Ricci, 利瑪竇 1552-1610)の布教
【2.3.1.】マテオ・リッチが1598年に北京に到達して以降、中国での布教が始まる。リッチは『天主実義』(1595)でキリスト教の教義を説くが、聖書の翻訳はしていない。
【2.3.2.】リッチの著書のタイトルにある通り、カトリック/イエズス会の訳では、θεος / Deus / Gott / Godは「天主」。この訳語は日本ではキリシタンに伝承されている。例えば「大浦天主堂」など。
【2.4.】カトリックによる翻訳禁止
【2.4.1.】そもそも、カトリックはVulgataを正式なテキストとし、翻訳を禁じていた。
【2.4.2.】フスやウィクリフやルターの破門は翻訳の禁止を破ったことにも由来している。
【2.4.3.】カトリックによるVulgataからの訳の初出は1523年(フランス語訳)というが、ルター訳の最初の版は1522年の『9月聖書(新約部分のみ)』であるから、カトリックによる翻訳禁止の真っただ中であったはず。
【2.4.4.】17世紀には新世界向けのイエズス会による翻訳が盛んになるが、中国では翻訳活動は見られない。
【3.】典礼問題 (rites controversy / Ritenstreit)
【3.1.】典礼問題: 1610年のマテオ・リッチの死に始まり160年あまりに及んだ、中国への布教方針をめぐるカトリック教会内部の論争(以下、文献15参照)
【3.1.1.】マテオ・リッチ以来のイエズス会の方針は、儒教及び中華文明を高く評価し、キリスト教思想を受け入れる余地のあるものとする。儒教の典礼も、キリスト教とは相いれない他の宗教を祭るものではない、と考える。→儒教の典礼の容認(文献14、文献21)
【3.1.1.1.】Couplet, Intorcetta(文献3), Noël(文献4)らの仕事は、孔子を高く評価し、イエズス会の上記の方針を支えるものであった。
【3.1.1.2.】この観点は、文献13の膨大な報告文書によっても支えられた。
【3.1.1.3.】ライプニッツによる二進法の発見は、文献13にも収められているイエズス会宣教師からの『易経』についての報告に基づいている(文献5、文献6、文献7)。
【3.1.1.4.】クリスティアン・ヴォルフはハレ大学学長職を退任する際のラテン語による演説で、この立場から孔子を高く評価し、プロイセン王から死刑か国外追放かの選択を求められる(文献8)。
【3.1.2.】イエズス会以外のカトリック各派は、イエズス会のこの立場を厳しく批判する。
【3.1.2.1.】反イエズス会の立場での中国報告は、中国と中国文化を低く評価しており、数も少ない。
【3.1.2.2.】中国蔑視文献の数が少ないことは、学術的なレベルでは中国を高く評価する立場が一般的であった。この傾向は19世紀初頭まで続く(文献16、文献17、文献18、文献19)。
【3.2.】1770年代のイエズス会排斥とイエズス会の解散は、政治的理由に基づく(文献21)
【3.3.】モリソン/メドハーストの直面した問題はすでに典礼問題において顕現している。
【3.3.1.】イエズス会の布教は、現地の既存の信仰を容認しつつ進めるというものであったために、多くはキリスト教と在来宗教との混成宗教の趣を呈しているが、それでも、中国語訳に関しては、「神」でも「上帝」でもなく「天主」を用いた点で、キリスト教の「超越的人格神」という骨組みは維持している。
【3.3.2.】「神」は鬼神論にいう「魂」のごときものであり、「鬼」は死者の魂、「神」は生者の魂である。「上帝」は国家宗教としての儒教の最高存在であって、皇帝のみが祭祀に関わるものであった。どちらもキリスト教の、θεος / Deus / Gott / Godではない。
【3.4.】中国蔑視はマカートニー使節団以後に生ずる。
【3.4.1.】マカートニー使節団の正式な報告書は文献11。マカートニー使節団は乾隆帝との面会には成功するが、通商は認められなかった。実質的には失敗。副使であるストーントンの報告書はこれを糊塗するためか、報告書全体の半分ほどが、中国までの航海の記録であったり地理的な報告に当てられており、記述の全体は控えめ。
【3.4.2.】正使マカートニーの記録は手稿として残され、これは現在日本の財団法人東洋文庫に所蔵されている。翻訳は平凡社から既刊(文献10)。日記である。記述は客観的で控えめ。
【3.4.3.】使節団に加わった人間が各種の報告書を出版している。中でももうひとりの副使であったバローの旅行記(文献12)は、交渉の失敗を中国の後進性にもとめ、中国を蔑視する。
【3.4.4.】イギリスの対中国政策の転換はこの後に始まる。ロンドン宣教師会によるモリソン(父)の派遣は1807年。
【3.5.】カントの立場
【I. Kant, 『永遠平和のために』(文献25):第2章永遠平和のための第3確定条項《世界市民の権利は普遍的な友好の条件に制限されなくてはならない》 この条項で問題になっているのは、博愛ではなく、権利であり、ここでは、友好(客として遇せられるということ)が意味しているのは、他国の土地に到着したことを理由に他国の人から敵対的な扱いを受けることはない、という外国人の権利である。この国の人は、そうしたからといって外国人が破滅するというのではない限りで、外国人を排斥することはできるが、外国人がその場で平和的にふるまっている限りは、彼に対して敵対的にふるまってはならない。ここで外国人が要求することができるのは、賓客の権利(Gastrecht)ではなく……訪問の権利(Besuchsrecht)である(Bd.8 S.357f.)。……
これに続けて、カントは、ヨーロッパ列強がアジアで展開している政策を、アジアへの侵略・殺戮と捉え、ヨーロッパとの交易を禁止した中国と、さらには来航すら禁じた日本を、賢明な判断であったと称賛している(vgl. Bd.8 S.359)。
【3.5.1.】フィヒテの閉鎖商業国家論もまたしかり。
【3.5.2.】経済のグローバル化とはGastrechtか? それともBesuchsrechtか? 交易のequalityを求めてネーピアのように強硬突破するのは、カント的に考えればGastrechtであり、侵略に他ならない。
【3.6.】《ポスト・コロニアル研究》の〈ポスト〉とは何か?
【3.6.1.】ラテン語のpostは、単純に「あとの」である。コロニアリズムの後に来るのはコロニアリズムとは違う何かか? それとも、やはりコロニアリズムでしかないのか?
【3.6.2.】postを「超えて」と考えることは出来るか? そのようにとらえることは、「あとの」のものは、前のものを当然「超えて」いなくてはならないとか、当然「超えて」いるはずだ、と考えることになる。超えていることが結果としてそうであるのか、前提としてそうであるのかは、ここでは問題にならない。どちらにしても、結局は進歩史観である。また、進歩史観を採るのでなければ、「超えて」とは解しえない。
【3.6.3.】この講義の試みが〈ポスト〉コロニアルであるのは、コロニアリズムの後に来るものはいかなる姿をまとっていたとしてもすべてコロニアリズムでしかありえない、ということを暴露するからである。Gastrechtが否定されない限り、コロニアリズムは終わらない、ということ。
【4.参照すべき文献】
(0)柳父章『「ゴッド」は神か上帝か』(岩波現代文庫(2001))。
(1)柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書黄189 (1982)。
(2)柳父章『未知との出会い 翻訳文化論再説』法政大学出版局(2013)。
(3)Prosper Intorcetta, Philippe Couplet et al, "Confucius Sinarum Philosophus, sive Scientia Sinensis" Latine Exposita, Paris (1687)――『中国の哲学者孔子』:『大学』『中庸』『論語』の初のラテン語訳+『易経』の紹介+解説+中国史年表。
(4)Francisco Noël, "Sinensis Imperii Libri Classici Sex", Pragae (1711)――『中華帝国の六古典』:『大学』『中庸』『論語』の訳に加えて『孟子』の初訳(四書の翻訳が完成)+『孝経』『小学』の初訳。
(5)Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716), "De progressione Dyadica" (1679)。
(6)Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716), "Explication de l'Arithmetique Binaire" (1703)。
(7)Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716), "Discours sur la Theologie Naturelle des Chinois" (1715/16)。
(8)Christian Wolff(1679-1754) "Reden über die praktischen Philosophie der Chinesen" (1721)。
(9)Georg Wilhelm Friedrich Hegel, "Vorlesungen, Ausgewählte Nachschriften und Manuskripte, Bd. 12, Vorlesungen über die Philosophie der Weltgeschichte, Berlin 1822/23", Nachschriften von Karl Gustav Julius von Griesheim, Heinrich Gustav Hotho und Friedrich Carl Hermann Victor von Kehler, Herausgegeben von Karl Heinz Ilting, Karl Brehmer und Hoo Nam Seelmann (1996)。
(10)マカートニー『中国訪問使節日記』坂野正高訳注、平凡社東洋文庫。本書の底本は財団法人東洋文庫所蔵のジョージ・モリソン収集になるマカートニー関連資料中の写本:"A Journal of the Embassy to China in 1792, 1793 and 1794"(請求番号MS-33)。刊本としては、J. L. Cranmer-Byng, ed., "An Embassy to China, Being the Journal Kept by Lord Macartney during His Embassy to the Em-peror Ch'ein-Lung 1793-1794" (London, etc. : Longmans, Green and Co., Ltd. 1962)521pp.があるが、現在入手不可能。ジョージ・モリソン(George Ernest Morrison, 1862-1920)はオーストラリア生まれの冒険家・旅行家・ジャーナリスト。のち、中華民国総統府政治顧問。柳父が扱っている宣教師のMorrison父子とは無関係と思われる。
(11)George Staunton, "An Authentic Account on an Embassy from the King of Great Britain to the Emperor of China" London 1797:マカートニー使節団の正式な報告書(Stauntonは二人の副使のうちの一人)。
(12)John Barrow, "Travels in China" London (1804):マカートニー使節団のもう一人の副使による私的な旅行記。のちの中国蔑視の源流となる。
(13)"Mémoires concernant l'histoire, les sciences, les arts, les mœurs, les usages & des Chinois", per les Missionaires de Pekin. vol.1 (1776) - vol.15. (1791), vol.16. (1814).:第16巻の発行が19世紀にずれ込んでいるのは、フランス革命のため。日本では京都大学が所蔵している。数年前に読ませていただいたのであるが、当然ながらフランス装で、当然ながら200年間誰も読んでおらず、私たちが初めてページを〈切った〉! 快感であった!! 平凡社東洋文庫の『イエズス会士中国書簡集1~6』、『中国の医学と技術』、『中国の布教と迫害』(矢沢利彦訳)は、本書及びその他のイエズス会士書簡集から再編集されたと思われる"Lettres édefiantes et curieuses, écrites des Missions Étrangeres. Nouvelle Édition. Mémoires de la Chine, &c." (1780-1783)からの抄訳である。
(14)マテオ・リッチ『天主実義』(1595)。漢文の原文と読下し文を併置してこれに後藤基巳が日本語で解説を付した『天主実義』が明徳出版社から「中国古典新書」の一巻として刊行されている(初版1981年、第3版1995年)。
(15)井川義次『宋学の西遷』人文書院(2009)。
(16)石川伊織「1822/23年の「世界史の哲学」講義における中国の取り扱いについて」。『ヘーゲルとオリエント ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界史像の反歴史性』(平成21~23年度 科学研究費補助金 基盤研究(B) 課題番号213200008 研究成果報告書 平成24年3月)所収。
(17)酒井智宏訳/石川伊織・井川義次註「『書経――中国の一つの聖典』アントワーヌ・ゴービル 訳(1770年)――ジョゼフ・ド・ギーニュ(Joseph de Guignes)による序文――」。『ヘーゲルとオリエント ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界史像の反歴史性』(平成21~23年度 科学研究費補助金 基盤研究(B) 課題番号213200008 研究成果報告書 平成24年3月)所収。
(18)石川伊織他訳.「1822/23年『世界史哲学講義』抄訳・註」(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, "Vorlesungen, Ausgewählte Nachschriften und Manuskripte, Bd. 12, Vorlesungen über die Philosophie der Weltgeschichte, Berlin 1822/23", Nachschriften von Karl Gustav Julius von Griesheim, Heinrich Gustav Hotho, und Friedrich Carl Hermann Victor von Kehler, hrsg. v. Karl Heinz Ilting, Karl Brehmer und Hoo Nam Seelmann, Felix Meiner Verlag, Hamburg 1996,の抄訳)。ここに訳出したのは、 このうち、序論とオリエント論の部分。石川の担当は序論部分(共訳)と中国論。『ヘーゲルとオリエント ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界史像の反歴史性』(平成21~23年度 科学研究費補助金 基盤研究(B) 課題番号213200008 研究成果報告書平成24年3月)所収。ヘーゲルの「世界史の哲学」講義は1822/23年の冬学期が最初。この年の講義の学生による筆記録が複数残されており、これを編集したのが、本テキストである。ヘーゲルの死後弟子たちによって編集され最初の全集版に収められた「世界史の哲学講義」は、このテキストとは大きく異なる。22/23年講義では、特に、全体の半分を序論とオリエント論が占めている。死後の全集版はむしろ、弟子たちによる師の思想の改竄に近い。
(19)『ヘーゲルとオリエント ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界史像の反歴史性』 (平成21~23年度 科学研究費補助金 基盤研究(B) 課題番号213200008 研究成果報告書平成24年3月)。
(20)大野英二郎『停滞の帝国 近代西洋における中国像の変遷』国書刊行会(2011)。
(21)岡本さえ『イエズス会と中国知識人』山川出版社、世界史リブレット109 (2008)
(22)岡崎勝世『キリスト教的世界史から科学的世界史へ ドイツ啓蒙主義歴史学研究』勁草書房(2000)
(23)岡崎勝世『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』講談社現代新書(2003)
(24)岡崎勝世『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』講談社現代新書(1996)
(25)Immanuel Kant, "Zum ewigen Frieden, Ein philosophischer Entwurf" (1795)
E-mail: iori@……
Anschrift ; Iori Ishikawa,
UNIVERSITY OF NIIGATA PREFECTURE,
471 EBIGASE NIIGATA-City,
950-8680 JAPAN
新潟県立大学国際地域学部国際地域学科・石川研究室
950-8680新潟市海老ケ瀬471番地
メールアドレスは上記E-mail表記の@のあとに、unii.ac.jpをつけてください。
最終更新日:2013/07/19