哲学とは、書きつづけ、世界を変えること
伊藤 潤一郎 講師
国際地域学部 国際地域学科
専門分野:哲学、表象文化論
担当科目: 哲学、哲学・倫理学、哲学演習、現代文化論、原書講読[フランス語]、比較文化と越境的想像力
西洋哲学の歴史にはいくつかの画期があります。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの古代ギリシアはもちろん、デカルト、スピノザ、ホッブズらが活躍した17世紀など、なぜか有名な哲学者は一挙に現れてそれまでにない新しい思考を展開しはじめます。私が大きな影響を受けた20世紀後半のフランス哲学も、そのような画期のひとつでした。
私自身は、その中でもジャン゠リュック・ナンシーという哲学者の思考を受け継いで「共同体」の問題に取り組んでいます。普通に考えれば、共同体とは何らかの共通性(地縁や血縁など)をもった人々の集団のことですが、ナンシーは「共通性なき共同体」という逆説的なかたちの共同体を考えようとしました。他人とともに生きるのが好きでなかった私にとって、この考え方はとても魅力的でした。共同体の息苦しい同調圧力から距離を取りつつも、それでもなお他者とともに生きていくヒントがあるように思えたのです。
とはいえ、「共通性なき共同体」を具体的にイメージするのは思いのほか難しく、やっとのことで掴んだのが「投壜通信」というイメージです。難破した船の上から壜に手紙を詰めて、いつかどこかの岸辺に漂着することを信じて海原に投げ入れる「投壜通信」は、言葉を投げる「私」と受け取った「あなた」のあいだに果てしない距離がありながらもどこか親密な関係が結ばれる不思議な言葉のあり方です。私自身も一度も会ったことがないナンシーから「投壜通信」を受け取って哲学をはじめてしまいました。このひとの言っていることを真に理解しているのは私だという「誤解」こそが、知性をこれまでとは違う方向へと走らせ、世界を見たこともない新たなものにするのです。ひとりの人間の人生を変えてしまうほどの言葉の力を信じて、話したり書いたりしつづけることこそが「共通性なき共同体」のあり方なのだといまは思っています。