「教養」が重要なのは、それが知識の総量を意味しているからではない。教養、すなわちドイツ語の Bildungは、その本来の語義が示すように、「形成」であって、とりもなおさず学習者が自ら自分自身 を人間として形成することであった。しかし、それゆえにこそ、教養形成以前の学習者は人間以前で あることになる。したがって、教養が語られる際には常に、これから獲得されるべき価値である普遍 的な理念が問題となってきたのであった。
大学における教養教育はの危機は、教養を支えていた普遍的な理念の優位性という構造そのものの失 効が原因である。獲得されるべき価値が失効したのである。これは同時に、その価値を担うべく教養 形成に勤しむはずであった近代的主体の失効でもある。
本稿は、この問題を媒介項=メディアの分析を通して素描することを目的とする。メディアは自立的 な主体相互を媒介しもすれば、自立的個体と普遍的価値とを媒介しもする。媒介項とそれによって媒 介されるはずの両極との関係のあり方には、教養のこうした構造を支えていたパラダイムが見て取れ るはずである。
「メディア」とは、文字通りには「中間」という意味である。ここから派生して、「両極の中間にあ るもの」、「両極の媒介項」「媒辞」という意味になる。伝統的な理解では、メディアは中間であり 媒介項であるがゆえに、両極の担う内容の単なる媒介者、したがって、意味の運搬役であり、単なる 接続辞という位置付けになる。意味を有しているのはメディアではなく両極であり、考察すべき価値 があるのも両極である、ということになる。
こうしたメディア理解を一挙に逆転させたのは、「メディアはメッセージである」というマクルーハ ンのテーゼであった。伝達される情報に対して媒介項は中立的であり、意味を生産したりしない、と いう旧来のメディア理解に対して、マクルーハンは、媒介項もまた意味の生産を担っている、とする。
旧来の理解にせよ、マクルーハンの理解にせよ、前提となっているのは、媒介項は媒介されるべき両 極の自立性に従属するという観点である。自立的であるのは両極であり、媒介項自体は非自立的で偶 然的である。この前提は、近代の認識論の枠組みと正確に一致している。媒介されるべき両極とは、 自立した個体であり、本質であり、実体である。関係は実体相互の間に後天的に設定される。実体は 関係に先立っているのである。
この関係は、《主体と客体》の関係とも、《内と外》の関係ともパラレルである。だが、こうした関 係は、主体と客体とを区別でき、内と外とを峻別できる限りでしか成り立たない。内と外、主体と客 体が区別できず、それどころか、内と外、主体と客体が同一だとすれば、この関係は成り立たない。 では、何がこの区別を成り立たせるのか? それは両極の《差異》に他ならない。差異があるからこ そ、両極は区別される。しかし、差異は自立する両極には内在していない。差異は自立的な両極の間 に成立する関係である。両極の自立は、両極が自立してはおらず、むしろ関係を有していることによ って成り立つ。個別的な実体という極が他者に依存しないで存立しているというのは、近代の幻覚に 過ぎない。
ここから導かれる結論は、関係の第一次性ということである。《メディアはメッセージ》なのではな く、《メディアこそがメッセージ》である。自立的な実体であるかに見える両極は、媒介する働きに よって後天的に産出される。《私》が《主体》であるのは、相互行為の過程で行為者が《私》として、 《主体》として形成されるからである。この過程は、《私》の行為の対象であるかに見える《あなた》 が、同時に《主体》として形作られていく過程でもある。ことわっておくが、《あなた》は同じく 《主体》として形成されるのであって、《客体》として形成されるのではない。こうして成立する 《私》は、《客体》との対概念ではないのであるから、そもそも《主体》ですらないとも言える。 行為を行なう者という意味でagentないしはactorでもよい。関係に参与している者という意味で、 partnerでもよいかもしれない。近代的主体の概念に拠らない《私》を考察する必要がある。
古代における対立図式は《超越的な(transzendent)もの》と《現世的な(immanent)もの》の関係であ った。モノの「元のもの(arche)」を探求するのがギリシア哲学であったが、対立は、この「元のもの」 が現世(現実世界のことではない!)を超えた超越的な世界にある、超越的な何かであるのか、それ とも現世に内在する何かであるのか、ということにあった。現世に内在する何かである場合、それは 当のモノとは異なる何か別のモノであるのか、それとも当のモノそれ自体に内在するものであるかと いう区別になる。
「万物の元のものは水である」とか「火である」といった主張は、「元のもの」は現世に内在してお り、「元のもの」をたどれば最も根源的な「元のもの」に行き着くという考えである。これに対して、 プラトンは、「元のもの」は現世を超えたイデア界にあり、現世の諸物はすべて、イデアの映現であ ると考える。対するアリストテレスはまたしても内在論を主張する。しかし、どこかに最も根源的な 「元のもの」があるとするのではない。アリステレスにとっては、元のもの=原因は、全て個物に内 在する個物そのものの本質である。
一見して判明する通り、ここには媒介項は登場していない。メディアは問題になっていないのである。 古代ギリシアの場合、主要な争点は、超越的なものが現世に直接に映現しているのか、それとも、内 在的本質が直接に発現するのかという問題であった。メディアが問題ではないということは、主体も 問題ではないということを意味する。重要なのは、「主体」ではなくて、命題の「主語」であり、主 語になりうるのは具体的な個物のみである。普遍概念は主語にはなりえない。なぜなら、個物である 主語に結合される述語のほうが、主語の何たるかを決定する原因=本質であって、したがって普遍的 であるからだ。
古代的対立はイデア論の勝利に終わる。しかし、イデア論の勝利によって、超越的な本質と現世とを 媒介する第三の者=メディアが要請されることになる。本質が超越的な世界の側にあるなら、これと 現世とがどのようにしてつながっているのかを説明しなくてはならない。すでにプラトンが「想起説」 を唱えていたが、超越的な世界と現世の並存を説く以上、平行するに世界の関係を単なる忘却と想起 で説明するには無理がある。新プラトン主義とキリスト教との接近は、媒介者=メディア を媒介者=メシアとして要請することを意味している。超越的な世界は神の世界であ り、神そのものであるが、奇跡ないしは恩寵が与えられない限り、神そのものは姿を見ることも声を 聴くこともできないのであるから、神と現世、神と人とを積極的に媒介する第三者が必要となる。キ リスト教とは、媒介する第三者を救世主=キリストであると信ずる宗教である。ここに、神と人とを つなぐ救世主=子なるイエスという構図が成立する。神の代理人としての教皇と教皇を頂点とする教 会の組織もまた、信徒集団と神とを媒介する仲介者=メディアであった。中世キリスト教世界とは、 まさしくメディアの時代であったのである。
仲介者が要請されるのが、超越的な神の権威の故である以上、神の権威が高ければ高いほど、媒介者 の権威もまた高くなる。媒介者は超越的なものの権威を借りて自らの権力を増大させることになる。 教皇権の絶対という主張も王権神授説も、基本的にはこの論理構造をとる。しかし、本末は容易に転 倒する。超越的なものの超越性を現世に現出させるために案出されたはずの媒介者が、かえって自ら の絶対性を主張するようになる。超越者の超越性は、現世からは容易にはアクセスできないことによ って成り立っていたから、媒介者が媒介のもう一方の項である超越者を捏造することは造作もないこ とだったからである。
しかし、媒介項の地位が低下すると、こうして捏造された超越的なものもまた没落せざるを得ない。 自立的だったはずの超越者は、媒介項を立てたことによってかえって非自立的なものへと転落する。 媒介項の無力化が両極の自立化を促さないのは、この媒介関係自他が捏造されたものだったことに由 来しているのである。
では、媒介者も超越者も没落しているとは、いかなる事態だろうか? この経緯はスコラの実在論と 唯名論を対比的に見ると明らかである。実在論(Realismus)とは、現代語のリアリズムとは正 反対の意味を持っている。実在論において実在的(real)であるは抽象観念である。抽象観念はそれと 対応する実在を現実世界の中に持っている、と実在論は主張する。一方、唯名論(Nominalismus) は、抽象観念は単なる名辞に過ぎないと主張する。
注意すべきは、どちらの主張も、私ないしは我々の頭の中には何らかの観念がある、と主張している ということであり、さらには、観念を宿している私ないしは我々は、外界=現実世界とは切り離され 区別された何かだと主張している、という点である。実際、この二点において、実在論も唯名論もま ったく同じ主張をしている。違いは、観念に対応する実在の有無だけである。そして、内と外という この対立図式では、両者を媒介する第三者=メディアは問題になっていないのである。
宗教改革を主導したルターは、神の代理人をもって任ずるローマ・カトリックという媒介項と対決し、 媒介項の優位性を否定する。教会の権威をそぎ落とすには、超越者=神の権威を否定しなくてはなら ない。しかし、キリスト者であるルターにはそれは考えられないことであった。そこでルターのとっ た方法は、媒介者なしで神と対面する方法(信仰義認論)である。しかし、そもそもキリスト自身が 神と人との媒介者であったのであるから、ルターの主張を貫けば、当然キリストも媒介者であること を辞めなくてはならなくなる。キリストの媒介者としての役割の終焉が万人司祭主義であった。神は 各人の内面にましますのであるから、各人は自らの内面と対話することで、直接に神と対話すること ができる、というのである。こうして、媒介者としての司祭は一切必要ないことになる。
ルターが内面を強調するのには意味がある。内面には外面が対立する。信仰は内面の問題であるから、 外面からは分からない。しかし、神は私の内面にましますのであるから、わたしの内面は神にはお見 通しである。だったら、それが他人に分かろうが分かるまいが、どうでもよいことだ。ゆえに、内面 を外面に表現するような行為は一切不要である。カトリックは、内面は外面から判断できるとする。 信仰を持っているなら喜捨や勤行といった外面的な行為をせよ、と命じるのである。しかし、喜捨や 勤行をしたからといって、本当に信仰を持っているとは限らない。信仰しているふりをしてはいるけ れども、内心はとんでもない不信心者ということもありうる。だから、信仰において義と認められる ためには、内面だけが問題であり、それで充分である。この観点からすれば、カトリックは律法の形 式主義に過ぎない。すなわち、パリサイ人であり、律法学者だ、というのである。
だが、それでは、内面において信仰に努めるだけでそれでよいのか? 道徳的に正しい行いをしない でもよいのか? もちろん、否である。ルターの問題にしているのは、キリスト者として義 とせられるためには何が必要なのかということであり、その答えは「内面の信仰のみ」である。しか し、人間には外面もまたあり、外面において、隣人や同胞とコミュニケートするのである。したがっ て、外面における道徳的行為は、キリスト者としての義を保証しないが、人間として必要な ことである。ルターは、外面においては人間として正しい行為を、内面においてはキリスト者として 義しい信仰を要求する。カトリックはこの二つの側面を混同しているがゆえに、不純な信仰なので ある。
内と外は《私》という人間において直接に繋がっている。いわば、皮膚という共通部分をはさんで内 と外は直接に接している。そして、問題は内面にある。ルターの思想を展開すれば、他ならぬ《私》 が内と外をつなぐ媒介である、ということにはならないだろうか? しかし、私の内も外もともに 《私》であってみれば、この媒介の結果成立するのは、主観的で個別的で孤立ないしは自立した近代 的主体でしかない。
経験論は、我々の認識を成り立たせる根拠は我々の外にあると言う。感覚器官を通しての経験が認識 の源泉である。しかし、感覚の原因が何であれ、我々の捉えているのはセンス・データのみである。 その根拠になる外的実在が現世に存在していると考える根拠はどこにあるのか? 他方、合理論は、 認識を成り立たせる根拠は我々の内にあると言う。しかし、外的実在は存在しないということになる のか? そもそも、「我々」というが、主体によって捉えられるのは「私」個人でしかない。合理論 から帰結する最も判りやすい結論は、むしろ独我論であろう。「我々」という表現自体、「私と同等 な、認識し行為する他の知的存在者」の存在を前提としている。「我々」という表現自体が不可能で はないのか?
カントの《超越論的transzendental》と《超越的tranzendent》の対立も、内と外 の対立図式のヴァリエーションである。カントは、超越的なものは我々の認識によってはとらえ られないと考え、これを否定した上で、超越論的なものを要請する。認識することは不可能である にせよ、それなしには認識自体も道徳法則も成立し得ない超越論的なものは、これを想定せざるを 得ない。しかも、これは「理性の事実」として、我々の目の前にある。超越的なものであったなら、 それは目の前に現前したりはしないし、それが認識や道徳の根拠となりもしない。だからこそ、こ れらは超越論的、すなわち、経験を可能とする経験に先立つ根拠なのであり、それは内在的な極の 内部に確保し得るはずだというのである。
「超越論的主体」というのは、したがって、「私」という個別主体の成立を可能とする原理的枠組 みとしての「我々」のことである。「私」以外の、しかも「私」と同等な他の主体を、「我々」と して要請するのである。ヘーゲルなら、「私」以外の他の主体を、欲望と闘争と承認という運動を 通して導出してみせるであろう。しかし、カントにとっては、他の主体は「私」を可能にする前提 であって、証明も導出も必要ない。ちょうど、数学や物理学における公理系において、定義と公理 は証明を必要としない前提であるのと同様である。
しかし、内と外はどうやって区別するのか? 認識主観とその対象という区別を立てるなら、内と 外は精神という内面と物質的な外界と言い換えられる。経験論がセンス・データから観念が作られ ると言う時、問題とされているのは、感覚器官を通してセンス・データを受容する「私」であり、 「私」の精神は「私」の身体を通して外界と関わっていることになる。しかし、合理論にとっては、 「私」の身体もまた物質的な外界であり、対象である。「私」の精神は「私」の身体に内在してい るのか否か?
このレベルで他の主体を射程に入れれば、他の主体は端的に「私」にとっての他者となる。しかも、 これを物質的対象と区別することは出来ない。経験論も合理論も、その極端に合理的な帰結は独我 論に行き着く。これを回避するのが超越論的主体という観点であった。内と外の境界線を、個的主 体の身体から、数多の主体によって構成される共同主観としての観念のシステムへと、すなわち、 当時成立していたレベルでの自然科学的世界観を共有する理性的存在者の作り出す共同体へと拡張 したのである。それゆえ、科学的世界観の内部では、当時成立していた自然科学的・経験科学的な 営みが充分説明可能となる。超越論的主体は様々な手段でセンス・データを蓄積し、解釈する。し かし、センス・データの源泉であろうと想定される外的な何物かは、この世界の外部であって、こ れについては科学的探究の対象外なのである。
要するに、カントは「主体」を個別主体から超越論的主体へと拡張することで、経験可能な世界を すべて超越論的主体の内部に取り込んでしまったのである。経験可能な世界が主体の外にあること によって生じていた経験論の行き詰まりは、こうして回避される。だが、個別主体と超越論的主体 の関係は、カントには説明の不要な自明のものであった。
境界線の拡張は、倫理思想や美学においても現れる。たとえば、社会契約説は倫理学・政治思想に おいて、主体の内と外の境界線を拡張する試みであった。ロックの『市民政府論』が所有権を擁護 する論拠は、それが労働の源泉であるからであり、労働が価値の源泉であるからである。所有物は 単なる物権ではない。所有者は所有物におのれの人格を刻み込む。所有物の毀損が犯罪を構成する のは、それが所有者の人格の毀損であるからである。所有物は所有者の精神の延長である。社会契 約を締結するのは、権利を相互に承認することによって、自分以外はすべて敵という戦争状態を、 「我々」が成立する社会状態に変えることであり、すなわち、内と外の境界を私の皮膚の内外から、 共同体の境界線にまで拡張することである。ルソーの『社会契約論』における「国家」が、彼の故 郷であるスイスの直接民主制による民会という小規模な共同体をイメージしていたにせよ、その影 響は、フランス共和国という巨大な中央集権的国民国家へと及ぶ。すなわち、個人の皮膚の内と外 が、家族の内と外へ、村の内と外へと拡張され、さらには国家にまで拡張されるのである。
市民革命の理念は、王権という媒介者なしで我々は直接自らを統治しうる、というものであった。 媒介項の没落はここにも明らかである。
この構図は、芸術においては、印象と表現という正反対のベクトルを持つ思想に典型的に現れる。 印象主義(Impressionismus)と表現主義(Expressionisus)とは、芸術家個人の内と 外との峻別を前提としている点で、同じく近代思想の枠組みの中にある。峻別した上で、同一の 事態を内と外のどちらに力点を置いて観るかの違いなのである。印象を重視すると言いつつも、 印象派の創作活動は印象をそのまま写し取ることではありえない。印象そのままでよいなら、カ メラさえあればよい。画家は要らない。そこには表現があるはずだ。しかし、では表現主義でい けるかといえば、表現するべき何物かが画家の内になくてはならない。だが、その何物かはどう やって画家の内に入ってくるのか? どこから入ってきたのでもなく、画家の内から沸いて出て くるというのであろうか? そうであるなら、経験論と合理論のところで出てきたとまったく同 様の矛盾がここにも現れるだろう。
性差に関する本質主義と構築主義の対立にもこの構図は表れる。バトラーは生物学的な性ないしは性差(sex)は、社会的な性ないしは性差(gender)によって社会的に構築される、 と主張する。これに反して、本質主義は、身体に生まれつき具わった性差は変えられず、それが 個体を規定していく、と言う。本質主義は、内と外の境界線を身体と社会の間に設定するのであ る。だから、主体の内(=身体)であるsexは主体にとって直接的で実在的であるのに反して、身 体の外(=社会)であるgenderは主体にとってよそよそしい、非実在的なものであることになる。
しかし、構築主義は、物質的・生物学的なモノとしてのsexが社会的に構築される、と言 っているのではない。そうではなくて、sexという観念がgenderによって社会的に構築 される、と言っているのである。sexはなんら直接的なものではない。ちょうど、カントに とって、センス・データの源泉であると想定される物自体が直接的でも実在的でもないのと同じ である。そして、認識可能な対象であるgenderこそ内であり、sexは外である。にもかかわらず、 sexにおける差異は現にある。とすれば、ここでの対立図式は、経験論と合理論のそれとほとん ど同じであることになろう。
以上の概観からすれば、問題は《主客図式》にあることは明らかだろう。古代における《地上と 天上との対立》は、教会による《媒介》で調停されたが、媒介項の没落で同時に天上世界も没落 する。近代では対立は地上における《内と外》の対立に変わる。しかし、どの場合にも共通して いるのは、差異は現にあって、この差異をどう説明するかという問題設定がなされているという ことであり、かつ、直接の対立にせよ、媒介項を挟んでの対立にせよ、項そのものの自立性はニ ュアンスや力点の置き方の相違こそあれ、自明なものであるとされてきた。これが極度に洗練さ れたのが近代の主客図式である。しかし、内と外の区別という構図は《内》の拡張を常に伴い、 それが《内外》の区別を常に曖昧にもしてきた。この区別が自明でなくなれば、主体が無条件に 自立的であるとは主張できなくなる。主体を構成するのはむしろ《関係》ではないのか、という 疑問が生ずるのである。
そうであるなら、《関係》の表れである「表現」に新しい意味が付与されなくてはなるまい。 impressionでもexpressionでもない、主客や内外の対立とは異なる「表現」という地盤が作ら れなくはならないだろう。これに伴って、《メディア》にも新しい意味が与えられなくてはな らない。両極の存在と峻別を前提とした上で、媒介項として要請される第三者ではないメディ ア、関係の運動の全体としてのメディアが考えられなくてはなるまい。
では、「教養」をこの観点から見直すと何が言えるだろうか?
中世の神秘主義思想に端を発するドイツ語のBildungは、元来「ものの形、人の姿」を 意味し、それが「ものの形成、人の形成=教育・育成」、その結果である「文化」へと変化した。 この段階では英語のcultureとほぼ同義である。有名な「啓蒙とは何か」という議論で は、一方のメンデルスゾーンは、「形成(Bildung)」を、工芸や習俗における洗練や美 や熟達や傾向性や趣味を指す「文化(Kultur)」と、理性認識を人間の使命にまで高める ことを指す「啓蒙(Aufklärung)」とに区分し、他方のカントは、「教育・陶冶・文 化」の意味でこの語を用いた。カントは、自然学上の著作では天体の「形成」、人種や性格の 「形成」の意味でもBildungを用いる。この段階ではBildungはまだ「教養」ではない。
この後、Bildungはヘルダーによって「高い人間性を目指しての形成向上(Emporbildung zur Humanität)」という意味で定式化され、さらに、19世紀初頭、進行するプロイセンの教育 改革の中で新設のベルリン大学の学長に就任したヘーゲルによって、「個別者が普遍性を獲得 するための自己陶冶」という意味にまで拡張される。自己を陶冶して普遍性を獲得するために、 個別者は直接的な自己を断念し、自分自身からさえ疎遠となって、自己否定を遂行する。自 己否定による自己形成という逆説的なあり方が、ヘーゲルのBildung概念であり、これが以後の ドイツの大学での「教養」にとって決定的となる。
一面においては、Bildungは自己形成であるから、教育する側がされる側に対する一方 的な「教育・陶冶」ではない。教育を受ける者は自らの普遍性を自覚しなくてはならず、教育 する者もまた教育活動を通して自らの個別性を思い知らされねばならない。したがって、教育 する側の優位を前提とする啓蒙主義は批判の対象となる。
しかし他面においては、教養形成は自己否定を伴うがゆえに、教養を積む者は必然的に自己分 裂に巻き込まれざるを得ない。教養の運動が成り立つためには、直接的・個別的な自己と普遍 的な自己との間に分裂が必要である。ヘーゲルの「教養」は精神の分裂態でもある。この分裂 を克服するために、個別の自己は自己否定を遂行するのである。しかし、普遍性に接近するこ とはできても、到達することはできない。もしも到達したと錯覚する個人が現れるならば、こ の者の教養はこれまた必然的に独善に陥り、テロリズムを生む。教養は精神の転倒態でもある。 世界が転倒している以上、もっとも教養の高い者はとはこの転倒を自覚しつつ、我が身を以っ て転倒した現実を生きる下劣な者の方である。
もうひとつ、ヘーゲルの教養概念に関して重要なのは、普遍と個別との相互関係である。個別 の主体は己の個別性を克服して普遍的となり、自己分裂を克服しようとして、自己否定までし て教養形成に励む。そんな努力をするのも、到達目標である普遍に高い価値があるからだ。し かし、普遍はそれだけではただのお題目に過ぎない。個別の主体の努力に支えられて、普遍は はじめて生き生きと運動し始めるのでもある。御神輿を担ぐのは、そこに神が降臨しているか らであるが、神は人々が御神輿を担ぐからこそそこに降臨する。誰も参詣する者がいなくなっ た祠が荒れ果てるのはそのためだ。だとすれば、普遍的なものは御神輿担ぎという行為によっ て構成されるのだと言ってもよかったはずである。しかし、ヘーゲルはそこまでは言わない。 普遍と個別とが相互に支えあう関係にあることを、教養形成の運動として語りはする。個別者 による教養形成は、同時に世界の形成・普遍化でもある。世界史は人類の教養の歩みであり、 「文化」は、諸個人が自分とその世界とを普遍化する運動を意味する。しかし、そこまでだ。 こうした運動が開始されるのは、普遍が絶対の普遍であるからだ。なぜに普遍が絶対であるの かを、ヘーゲルは説明しない。かえって、こういう問いを立てて普遍性を疑う者は、自分と絶 対に対立する普遍という他者の中に自分の本質があることを把握し得ない無教養な輩である、 と言うだけである。
漢語の「教養」は、もともと「子を教え育てる」という意味で、『後漢書』に現れる。明治 期に使われた「教養」もこの意味である。これに対して、明治期の庶民道徳に端を発し大正 期に広まる「修養」という語もあった。不断の勉励努力によって自己の人格を高め るという「修養」に、新渡戸稲造やケーベル門下の夏目漱石たちの思想が媒介として働くこ とで成立したのが、Bildungの訳語としての「教養」であった。「教養」の語をこの意味で 本格的に用いたのは和辻哲郎が始めだったらしい。大正時代のことである。その後「修養」 は庶民道徳として展開され、形を変えながら高度経済成長期まで生き延びたが、「教養」は 知的エリートの道徳として旧制高校・大学で発展することになる。
フランスの知的エリートの場合、「教養」は庶民道徳からはさらに断絶していたという。彼 らの理想である「教養人(honnête homme)」は、努力や熟達を軽蔑する思想ですらあっ た。努力や熟達によってではなく生まれによって教養人となった貴族的エリートの伝統が、 そこにはある。日本では、その出自からしても、「教養」は庶民道徳である「修養」と重な るところが大きい。ことに、教養が都市的・近代的エリートによってではなく、地方の下層 階級出身の学生によって担われていたという事実は、教養と修養の近さを暗示している。し かし、庶民にとって修養は、生業に不可欠の修業であったのに対して、国民の一割にも満た ない知的エリートの教養は、読書を通しての内省へと矮小化されてしまう程度の贅沢品であ った。教養は、新制大学への一般教養課程の導入の影響もあって、単なる博識にまで没落す る。大学進学率の増加で知的エリート層自体が消滅し、大学でも実用的な知識が求められる ようになると、実用とは別次元にある日本的「教養」は、無駄知識として葬り去られること になる。
ドイツ的教養が、理念としての壮大さや価値はともかくとしても、現実には、急ごしらえの 国民国家を統合するために必要不可欠な、国民の国家的普遍性への帰属意識を醸成すること を目的としていたことは、疑い得ないだろう。日本の大学での教養教育も、日本的特殊事情 はありつつも、基本は大日本帝国の国家的普遍性への国民の帰属を促すためのものであった。 しかし、これを、学問を通しての教養形成として遂行するなら、単なる国家意識の醸成以上 の結果を生む。知の普遍性は、「御国のために」という国家的普遍性を超えるからだ。現在、 そういう意味での教養が危機に瀕しているのは、教養が目標とする普遍性の価値が暴落した からである。普遍性の価値が暴落すれば、残るは実利性しかない。しかし、日本的教養は、 ドイツ的教養に加えてさらに無駄知識であった。実利性のない知識の価値は、普遍性以上に 速やかに暴落する。
では、教養は不要なのか? 以上の考察からすれば、問題はむしろ、普遍が絶対の価値ない しは権威を持っているとされるところにある。普遍はむしろ、我々の日常的な行為によって 日々産出されている。そして、ヘーゲルが図らずも見抜いていたように、行為する我々も、 行為によって自らを作り出している。そうであれば、個別主体と普遍とを媒介する教養形成 というとらえ方を転倒させさえすれば、新しい知と社会性を構築する可能性が見えてくる。 まず、主客未分化の行為があり、それが徐々に形を取り、行為の中で行為する者とそれによ って形作られる普遍的な了解が生じていく。《私》も初めから「主体」としてあるわけでは ない。複数の《私》が複数を結びことで《我々》が作られるわけでもない。むしろ、行為に おいて《私》と《我々》は同時に生成する。教養形成とは、この一連の過程を自覚的に遂行 することである。
こうした観点に立てば、基礎的ではあるが広く雑多な知識を満遍なく教えることで、教養教 育が成り立つとは思えない。そもそも、講義において伝達されるべき基礎的な知識など、こ と教養科目に関してはありえない。知識は対象ではなく、学ぶという行為において学習者が 自ら発見するものであり、自らそれを生きることである。それゆえ、授業は「講義」の形式 を取りえない。教えるべき何かがあるわけではないのであるから、「義」を「講ずる」こと など無理だ。あるのはただ、討論や作業を通じて、参加者の当初の思い込みを越えた普遍的 な、あるいは少なくとも参加者に共通の何かを作り出すことである。
現在短大で担当している哲学B(倫理学・美学)の授業では、M.エンデの『モモ』を 題材に輪読を試みている。読書会という勉強の形式はすでに廃れてしまっている。これを復 活させようという試みである。テキストを元に様々な議論を展開する仕方が分かれば、これ を応用して独学も可能になる。授業とは離れたところで独自の学習サークルを組織すること もできるようになる。
教員は討論の全体を見ている必要がある。参加者の一人として議論に加わると、かえって学 生の討論を妨げる場合もありうる。そうした場合には、教員は何もしないのが正しいだろう。 受講生が多数の場合はグループに分けて討論をすることになるが、その際には、グループご との討論で出てきた論点を全員にフィードバックすることが不可欠である。このときは、教 員は全体討論をリードすることになる。本学には「特別受講生」という制度があり、一般市 民に学生と一緒に同じ講義に出てもらっている。こうした(たいていは学生よりは年上の) 一般市民員が加わっている場合は、討論はさらに展開する可能性を持つ。
ジェンダー論の授業では、ジェンダーのバイアスに気づかせるための教材を学生自身が作る という授業を行なっている。理論では分かっても、実際自分の日常的な行為にバイアスがか かっていることにはなかなか気づかないのが、ジェンダー問題である。これに気づかせるに は、やはり「講義」は有効ではない。他の学生と共同で教材を作るための討論を繰り返す過 程で、同年代の同性の仲間から、バイアスや偏見を指摘されることが何度も起こる。こうし た経験を通して、学問的な言説や統計的事実の持つ意味をより深く理解するようになる。自 分の問題なのか他人事なのかは、社会を理解する上で重要な要素である。
2005年度のゼミからは、卒業研究としてクレイ・アニメを成作している。粘土で作ったキャ ラクタをコマ撮りしてアニメーションに仕立てるのである。1秒を10コマで撮影しているが、 商業アニメーションの1秒30コマの精度にははるかに及ばないが、それでも10分の作品で6000 枚からの写真画像を扱うことになる。ジェンダー論での教材開発の授業でもそうであったが、 ここでも共同作業であるから、共同体が出来上がらなくては作業がすすまない。学問がそも そも《学問共同体》の中での学術的言説の生産と流布として成り立っている。同じく、教育 の場でも、学びの共同体とも言うべきものが作られる必要がある。共同作業は必然的に共同 体を生み出す。この共同体の持つ教育効果に期待するのでる。
共同作業の場合、多くは中心となるリーダーがメンバーをまとめるという形になる。2005年 のゼミの場合がそうだった。しかし、誰もがリーダーになれるわけではない。それぞれに違 う利害関心や、就職・進学に関する様々な事情の違いを克服し、ひとつの作品を纏め上げる には、コミュニケーション能力こそが必要となる。しかし、では特定に人間にしかできない のかといえば、そうでもない。実際には、作品が出来上がる過程は、全ての参加者のコミュ ニケーション能力が高まる過程でもあった。そして2006年のゼミでは、リーダーを決めずに 作業が進行するという経過をたどった。それでも、昨年度同様、作品の完成がコミュニティ ーの深化とともに進行していくという経過をたどっている。作業は、コンピュータ・ソフト の使用法から人形の作成のノウハウ、動かし方のコツにいたるまで、発見と工夫の連続であ る。これを生かすには、他のメンバーも同じことができるように、マニュアルを自分で作っ ていかなくてはならない。知識の共有の第一歩がこうして始まる。作品を作ることは人間関 係を作ることである。
教養教育転換の実験はまだ始まったばかりである。今後の展開に期待していただきたい。ま た、助言をいただければ幸甚である。
【参考文献】
アリストテレス『形而上学』、岩波文庫
ルター『キリスト者の自由』、岩波文庫
Hinske, Norbert (hrsg). Was ist Aufklä:rung? Beiträge aus der Berlinischen Monatsschrift. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1981
カント『啓蒙とは何か』、理想社版『カント全集』所収
Hegel, G. W. F. Gesammelte Werke Bd.9, Phänomenologie des Geistes. Hamburg: Felix
Meiner, 1980 (ヘーゲル著/金子武蔵訳『精神の現象学』、岩波書店)
Hegel, G. W. F. ebenda Bd.14, Grundlinien der Philosophie des Rechts. 2000 (ヘーゲル著/上妻
精他訳『法哲学』、岩波書店)
Gadamer, Hans-Georg. Wahrheit und Methode
Butler, Judith. Gender Trouble. 1990、竹村和子訳『ジェンダー・トラブル』、青土社、1992
Butler, Judith. Antigone’s Claim. 2000、竹村和子訳『アンティゴネーの主張』、青土社、2002
筒井清忠『日本型「教養」の運命』、岩波書店、1995
竹内洋『教養主義の没落』、中公新書、2003
拙著『倫理の危機?』、廣済堂ライブラリー015、廣済堂出版、2002
拙著「希薄化する身体性のリアリティ」、『新潟ジェンダー研究』No.04所収、2002
高田理惠子『グロテスクな教養』、ちくま新書539、2005
2013/07/24